人はなぜコミュニティを求めるのか?
かくいう私も3年前から読書会をしたり、Discordで仲間集めをしたり、人生を変える講座をしてきたりしました。
しかし、行うたびに自分が本当にやりたいこととのズレを感じてしまっていたんです。
3年経った今でも、RRLレッスンの記事がまあまあ閲覧されています。
やろうと思えばやれるのですが、だけど葛藤を持ったままだと私が楽しくない。
楽しくないと万能感が働いて「~すべき!」と堅苦しい感じになってしまいそう。
しなしながら、迷いながらでもやり続けることで、自分独自の手法が見つかるかもしれない。
けれど何度かコミュニティや会を運営してきて思ったのは、
①私が上に立って教えるのではなく、対等な立場で学び合いたい。
②ただ傷を舐めあうだけでなく、前進や成長、変化を感じられる会にしたい。
③知識マウントを取り合うのではなく、リスペクトし合える関係でありたい。
と強く望んだということ。
①に関しては、講座を開催して感じたことです。
はじめは自分の人よりもほんの少し多い知識から、人生を変える方法を伝授しようと思ったんです。
だけど、みんなそれぞれ今まで生きてきた知識があります。
私が持っているものと違う形であっても、人生を変える知恵や知識を何個か持ってらっしゃっていて、でも「わかっていてもできない」と思ってここまで来られた方がほとんどでした。
某氏のように「でもでもだって(DDD)ではなく、とにかくやれ!」と言えるような性格だったらよかったのですが(笑)
自分は「つべこべ言わず、やったら人生変わるんや!」と強引に引っ張るような性格ではなかったことが原因です。
私は恐らくコーチング寄りなのだと思います。
みんな、本当はやり方はたくさん知ってるんです。
だからこそ、アドバイスするのではなく、その人自身の潜在的な能力を伸ばすには、本人の気づきが必要なのだと思いました。
そのために、私からは答を言いたくない!と思ってしまった(笑)
開催を躊躇ったもう1つの理由が、ある受講生の方から「〇〇という言葉が苦手で今まで避けてきたけど…」という感想をいただいた時です。
実は、私もあえて使うのを避けていた言葉を、講座内で必要だったので使ったことがありました。
しかし、私と同じようにその単語に違和感を持っていた人がいたわけです。
でも、いくら知識を共有するために必要だったとしても、その言葉を苦手な人に無理やり納得させるような方法は自分らしくないな、と思ったんです。
こうやって、いろいろ考えた結果、「講座」というトップダウンの形ではなく、「哲学対話」「オープンダイアローグ」という、対等に話し合える形式に移行しようとしているところでございます。
②これはDiscordや交流会を開催して思ったことです。
ただ集まるだけでも楽しい!と感じられることもあるかもしれませんが、私はそこに意味を見い出せなかったというのが大きいです。
意味がある=何かしらの変化を会に参加したら感じられることだと思っています。
起業家のコミュニティとか集まりでもよくありますが、最初は同じような志を持っている人が集まって話して楽しい。
なぜかというと、自分と同じ悩みを持っている人に出会えた安心感を感じられるから。
けれど、何度も参加していても、集客に繋がらなかったり、何も改善しなかったらやっぱり離れていくと思うんですよね。
「ただ楽しい会」というのもありだとは思っています。
でも、自分が目指しているのはここではないと気づきました。
そして、人が集まると私と似たようなカマトトぶる人がいる!笑
本当は答を知っているはずなのに、弱者になって質問しちゃったりするんですよね。
私は昔、人とのコミュニケーションは相手を立てること!とか無自覚に思っていたので、とりあえず分からないふりをして質問することが交流の第一歩だと思ってたんですよ。
「質問」し合う交流もありだとは思います。
もちろん、カマトトぶってない質問だってちゃんとあります!
そこから社会性を学んでいくことになったりもするかもとは思うのですが、私が目指すところはそこではなかった!笑
みんな、「スペシャリスト」として自信を持って対等に関わり合えるコミュニティを作りたい。
それで、結局「哲学対話」に同じく行き着いたんですよね。
哲学対話だと、参加者もファシリテーターも対等に考えて発言します。
1人ひとりの意見が大切で、正しいも間違ってるもない。
それってすごく素敵なことだと思うんですよね。
③これはもう仕方ない!笑
だって私もやりますもん、知識マウント(笑)
でも、なるべくそういうマウントなく、お互いの知識や経験をリスペクトし合って交流を深めたいんですよね。
弱者になってしまうような質問をなくしたい。
弱者を潰すような知識マウントを取り合いたくない。
しかし、私が今こうやって言っていることは、意識で無意識の世界を否定していることかもしれない。
もっと心の広い人なら、あえての弱者質問も知識マウントも上手いこと流せるかもしれない。
むしろ、活かせるかもしれない。
コントロールしなくても自然とそうなれる環境を作ればいいんじゃないか?というふうにも考えました。
で、結局行き着いたのが、哲学対話(ry
なので、私のヘルニアの具合とか、いろいろあって交流会もRRLレッスンもやるやると言いつつ、空中分解させてしまって申し訳ないです。
もっといい方法はないか、ずっと考えています。
忘れているわけではないです。
また、大嶋先生のメソッドを話せる仲間があまりいないので、私と話したいです!と仰ってくださる方も有難いことにいらっしゃいます。
カウンセリングに来ていただいたら、存分に話せます!笑
もしくは、臨床催眠講座やFAP講座などで私以外の多くの催眠スペシャリストと出会うこともできます。
大嶋先生本縛りの読書会もしようかと1年前から考えていたりもするのですが、まだ自分の中で一本の光が見えず、棚上げしている状態であります。
今度は空中分解しないように長続きさせたいので、構想をかなりの年月を使って練っています。
いつもわりとすぐ考えて行動して試してみてとやってみていました。
それはそれで良かったと思っています。
やってみたからこそ見えてきた「自分のやりたいこと」があります。
でも、それでついてきてくださった方を振り落としていくようなことは、もうしたくないと思っています。
以上がここ3年間の内省です。
あ、そうそう!
なぜ人はコミュニティを求めるのか?
今、周りではコミュニティを立ち上げる人がとても多いと感じています。
群れをなす人間の本能的なもので「コミュニティを立ち上げたい!」と思う人が多いのかもしれませんが、私の目的としては、トラウマを取って社会復帰していく過程で、対人関係に慣れていく場になれればいいなと思っています。
GABAを復活させ、一体感・優越感・悪徳の快楽を感じて社会性を育んでいける場になればと思って集まりを作ろうとしています。
なぜなら、自分が救われたから。
また、私のように「話すことが苦手」な人が安心して話せる場を作りたいと思っています。
私はどちらかと言えば、一人で過ごすのが好きな人間です。
だけど、たまたまカフェで友達と会って話した時、人の集まりに参加した時、そして催眠講座の仲間と練習した時。
あの「この時間が永遠に続けば…」と思う感覚。
これが「楽しい」なのか!と。
私は大嶋先生に出会うまで、暗黒の時代を過ごしていました。
30歳前に大嶋先生の本にはじめて出会うまでは、このまま死ぬまでずっと暗闇の中を歩いて行くうだつの上がらない生活を送って野垂れ死ぬのだと思っていました。
友達なんかいないと思っていたし、いらないと思っていた。
人の集まりの中にいても緊張してばかりで、全然喋れないし愛想笑いしかできないし、何にも楽しくなかった!
むしろ、しんどかった!!
でも、そうじゃないってみんなにも知ってほしい。
ともに群生した葦のように、一緒に風に流されて生きようじゃないか。



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