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「理想と現実のギャップ」を統合し続けた3年後

気づきの記録
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先日の【人生改革レッスン】にて、ご質問をいただきました。

大嶋先生の『毎日がうまくいく朝のスイッチ』の中で紹介されている「理想と現実のギャップに悩む自分から解放されるスイッチ」

私はこれを3か月間毎朝欠かさず行って、出てきたイメージを書き記していました。

それ以降もちょこちょこ「理想と現実」のイメージを出して、それを両手で合わせて「統合!」と続けていたのですが、先日の【人生改革レッスン】で「お、これをみんなでやってみたら面白いかも!」と思い出して、メニューに組み込んだんです。

そしてレッスンの当日の朝、シャワーを浴びている時に気づきました。
「あの時に願っていた“理想の自分の姿”になっている!?」ということに。

このワークの面白いところは、「理想の自分の姿」とイメージしたことは本来の自分の姿ではなかった!と気づくところです。

だから、毎朝「理想の自分」と「現在の自分」を統合して出てきていた「本来の自分の姿」というのは、「私のイメージする本来の姿は極端な快だったのか!」ということに気づかせてくれます。

たとえば、ある朝出したイメージはこんな感じです。

<現実の自分の姿>
怒りっぽい

<理想的な自分の姿>
お金持ち、明るい

<本来の自分の姿>
ピンクのマーガレット、野原、雑草→強く逞しい、しなやか
マーガレットの花言葉は「真実の愛」、女性の幸せの象徴
マーガレット=恋占い、母の日シーズン、大切な家族へ、母の日に贈る花

といったふうに「理想の自分」とも「現実の自分」とも全く違う第3の自分を発見できます。

また別の日では、こんなふうなイメージが出てきました。

<現在の自分の姿>
体に良いもの、喜ぶものを食べていない。不摂生。体調悪くダラダラ。

<理想の自分の姿>
精神が安定していてどっしり構える自分を大切にできる人は、人にも優しく大切にできる。

<本来の自分の姿>
大きな木、この木なんの木みたいな。
それを遠くから眺めて、木の全体像が見える。
もこもこの広葉樹、緑の木の葉が雲のよう。
そこに白や青などさまざまな鳥が飛んできて、木にとまる。
この木は緑のなだらかで丸い丘の上に1本、ぽつんと立っている。
普通よりも太くしっかりした幹。

このようなイメージが出てきました。

こうやって当時さまざま<本来の自分の姿>のイメージを出していたのですが、「この木なんの木」やモネの『散歩、日傘をさす女』がよく出てきていた印象があります。
不思議なのは、現在FAPセッションの中で私が出したイメージと同じイメージをクライアントさんがセッションの中で仰ること。
私が過去に見たイメージと同じイメージの話を聞くたびに、「無意識ではみんな同じところに繋がっているのだろうか」と考えたりもします。

もう1つ、ある日の「理想と現実のギャップ」ワークの例を出してみます。

<現在の自分の姿>
お腹が空いている、特に不安なこととか気になることがない(ナラティブで脳に損傷がない状態)

<理想の自分の姿>

この良い状態をキープできる

<本来の自分の姿>
丸い2段の鏡餅、満月、十五夜に白うさぎ、お月見
季節外れだけど縁起物、願いの成就(完了?)

と出てきました。
これは、このワークを始めてから3か月後の私の状態です。

ここからしばらくはやったりやらなかったりの日々だったのですが、それから3年後の今。

「あれ?この時に願っていた理想の自分の姿になれている?」ということに今、はじめて気がついたのです。

3年前にひたすら「理想の自分!」としてイメージしていた、爽やかで笑顔で友達が多くていつも心に余裕がある自分。
客観的に見たらまだまだそうじゃない部分も多いとは思いますが、当時の自分から見たら「いやいや、全然理想の自分に近づいてるよ!」と思うのです。

なぜなら、あの頃よりも友達が多いし、あの頃よりも全然イライラしてないし、心穏やかに毎日好きなことをして過ごせている。

そう思うと「あのイメージは確かに極端過ぎる快だったのかも」とも気づきます。

「理想の自分になりたい!」と願ってやっていたわけではありませんが、知らぬ間にイメージしていた自分、イメージしていた生活にたどり着けていることが自分でも驚きでした。

 

…ということを【人生改革レッスン】の参加者さまに「ブログで書いてほしい!」というお声があり、私も当日すぐに書く予定だったのですが、なぜか筆が進まず投稿が今になってしまいました。

人生には「時に適って美しい」がたしかにあると思っています。

そこを無理やり捻じ曲げて「今、絶対にやらないと!」となっている時は、もしかしたらその逆の「いや、絶対自分にはできない…」という否定的な自分がいて、それでギッタンバッコンして両極端を行ったり来たりしてしまうのだと思います。

皆さんは非常に優秀なので私ほど鈍くはないと思うのですが、私は頭では分かっていつつも「無意識に委ねる」ということが5年間はできませんでした。

私の無意識は結構スパルタで、それまでは意識的に行動してもドッカーン!となることがなかったのに、「心に聞く」や「中指ビンゴ」をマスターしてからは意識的に行動すると心が折れるレベルでドッカーン!と最悪な事態に落ちるのです。

無意識の声を知る以前は毎日が息苦しくて、人が怖いし喋れないし、愛想笑いしかできなし、この苦しみをどうやって拭えば良いの?と死にそうになっていました。

だから、ある意味無意識は私を守ってくれていたのかもしれません。

そして、無意識の声を聞けるようになってからは「おら!こっちじゃないっつってんだろが!」的な感じで、意識的な私にダメージを与えて「そっちに行くな!」と教えてくれていたと、今の私なら分かります。

よく「心に聞いた通りにやったのに、上手くいかなかった…」とお聞きすることがあります。
私の場合は、心の言う通りにやらなかったらドッカーン!となることが多かったのですが、もし今、心が言った通りにやったのにひどい現状なんだけど!という方がいらっしゃるのなら、そこには何か意味があるのかもしれません。

私の場合は、意識的に選んだ「そっちじゃない道」を選んだ時に、収入が減ります。
(私は自営業で固定収入じゃないのでそうなのかもしれませんが)

でも、「正解の道」(果たして正解と言って良いものかどうかは分かりませんが…)を選んだ時に、まるでご褒美のように収入が爆上がりしたりします。

これは何も仕事に限ったことだけではなくて、日々意識的になり過ぎてあえて不快な選択をしてしまっている時に、収入がなくなります。

だから、「あ、今月ヤバイかも」と思うと、「どこを改善すればいい?」と心に聞いてみます。

3年前の私は、心に聞いたり中指ビンゴをしたりがまだ日常ではありませんでしたが、これは意識的に「無意識に聞く」ことを習慣づけました。

そうすることで、今まで色々考え過ぎて疲弊していた脳に余裕が出て「分からないことは心に聞こう!」と思うと、不快なことや難しい選択肢をグダグダと悩んで時間をムダにしなくなったのです。

何歳からでも遅くないと思っています。
最近エド・はるみさんのネット記事を読んだのですが、今の自分を恥じましたね。
諦めて良い年齢なんて存在しないのだと思いました。

自分で制限を設けてしまっていることこそが、大嶋先生の仰る「リミッター」となってしまっているので、我々は心に聞いたり遺伝子コードを唱えたりして、どんどんリミッターを外して自由になっていく術を知っています。

ともにリミットレスに!

(追記)
なぜか改行などがバグってしまい、何度も修正しています…。
いつもは書いた後に記事がバグることはないので、この記事を書くことがそもそもなかなか出来なかったですし、やっぱりなんらかしらあるのかもしれませんね…!

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