学校の暗い暗い廊下がまっすぐ目の前に続いていて、ここは「学校なんだ」ということが分かります。
だけど、もう夕暮れ時で、校舎の外からは数人の子供たちの声とカラスの声が交互に聞こえてきて、私は暗い廊下を歩く速度を、少しだけ上げるのです。
なぜなら、なんとなく夜の校舎というのは怖くて、背筋がぶるっとしてしまうから…。
そんなことを考えながら、一歩一歩と廊下を進んでいくたびに、カーテンの掛かっていない窓から入る夕陽に頬が照らされて、視界がまぶしく遮られます。
私の歩くスピードで、カツ、カツ、カツとヒールの音が鳴るから、それが白い床や天井や壁に反響して、ぐるぐると私のまわりを回っているように感じます。
まもなく夕陽が向こうの山の陰に隠れようとしていて、オレンジ色の光が空いっぱいに広がっていくのを横目に見ながら、私は急ぎ足で階段を下りようとするけれど、ふと立ち止まって見た窓の外の風景は、なんとなく子供時代の夕飯の時間を思い出すのです。
家の玄関を開ける前から漂ってくる夕食のにおいは、キッチンに立つ母親の姿を想像させます。
母親は無言のまま私に背を向けて、ぐつぐつと何かを煮ているので、私も何も言わずにランドセルをパッと座布団の上に投げて、とりあえずテレビをつけます。
テレビの中からはにぎやかな笑い声が聞こえてくるけれど、一言も喋らない母親の後ろ姿と煮物を煮ている湯気は、私にとっては別世界のように感じるのです。
あちらとこちらの世界で…たとえば、先ほど廊下から見た大きくて真っ赤な夕陽と、暗い廊下と同じように、私の母親の後ろ姿とテレビの中の世界は、違う光や違う音を放っているように見えるのです。
だからどうだと思うのですが、私にとって、「自分の居場所を確かめる」というのはとても大切なことなので、「今、私がどこにいるのか?」を常に自問自答しながらまわりの景色を見ていると、まるで私なのに私じゃない人のような声で「君は何を探しているの?」とどこからともなく聞こえてくるのです。
私は、その声に向かって「いや、私は何も探してないです!」と答えるのだけれど、先ほどの私のような人からの返答はなくて、ただあたりはしーんと静まり返っているだけで、私は「幻だったのかな?」と思いながら再びテレビに視線を向けるのです。
テレビの中には大勢の人たちが笑い合っていて、私は少し安心するのだけれど、「あれ?私は最近いつ笑ったのかな?」と過去の自分を探ってみます。
すると、全然最近「笑ったこと」を思い出せないのです。
声を出して笑っている人はよく見るのだけれど、私はいつも何かを不思議そうな顔をしながら眺めていて、笑うよりも「この仕組みはどうなっているんだろう」とか、私はいつもそんなことを考えていたけれど、誰にも結局話さなかったのです。
そう思うけれど、寂しくもなくて、ただ「どうしてみんな、そんなに何かを話しているんだろう…」と思うけれど、私は私で自分のことや世界のことについて考えるのが忙しいのです。
だから、昨日見た虹の夢を思い出したり、昨日聞いた隣の家のピアノの音色を反芻してみたりします。
すると、私の中で言葉にならない言葉や音がたくさん出てきて、それが先ほどみた夕陽のように私の中で膨らんでいくのです。
なので、私は自分の中の音や色に耳を傾けながら、自分の奏でる音に色をつけて、そしてたくさんたくさん心に絵を描くのです。
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