「世界」とは誰のことかというと、母親のことですね。私の場合は。
「母親の世界」の中で生きていて、そしてしがらみを脱ぎ捨てた時に強烈に感じる支配の感情は「罪悪感」なのです。
なぜ母親の世界から脱出した時に「罪悪感」を感じて、また元の母親の世界に戻り安心しようかと望んでしまうのかは、やはりそこに「偽りの快感」があるからかもしれません。
私の場合は『孤独』ですね。
孤独になることで「母親しか愛してくれない!」ということを確認するかのように、他人と親密感を持てずにまた母親の元に帰っていってしまいます。
だけど、母親が愛してくれるのか?というとそうではないのです。
遠く離れてる時は優しい言葉で「いつでも帰ってきていいよ」と言うのだけれど、いざ帰るとダメ出しの嵐。
「あんたがこうだからそうなるんでしょ」に始まって、「だからいつもあんたはそうなのよ」と。
先日久しぶりに話して「あ、これがダメ出しなのか」と今さらですが気づきました。
以前までの私は「ダメ出し」だとは捉えておらず、ただただ母親が心配性でウザイな、ぐらいの考えでした。
だけど、母親と一言話すたびに強烈な怒りが私の中に湧いてくるのです。
もう分かっていることを言わないでほしい。
当たり前の回答をしないでほしい。
だけど先日話して、「あ、これは暗に“あんたのやり方がダメ”“あんたの生き方がダメ”と言われてるんだ」と気づくのです。
だから私は人に対してすぐ「こんなこと言ったら怒られるかも…」と思って、自分の意見を言えないまま流されるように今まで生きてきたのです。
自分の意見を言うのが、ものすごく怖かったのです。
それは前職でガンガン自分の意見を言っていって良い仕事をしていたので、人に話を聞いてもらって意見を実行してもらえた!ということを繰り返していって、どんどん自分の意見を言えるようになっていったのです。
ただここで問題なのが、やっぱり一度「意見を受け入れてもらえる!」と思うと、今度は自分に万能感が出てきてしまって、「自分の言ってること/思ってることが一番正しい!」になっていっちゃうんですね。
それもやっぱり自分では気づいていないので、自分では「私は正しいことをしているのに、何がおかしいの?」みたいな気持ちになるわけです。
これが良いとか悪いとかではなく、やっぱり人と上手いことコミュニケーションを取ってやっていくのなら、ある程度の譲歩は必要なのだと思います。
世の中が全て自分の思い通りになるわけではないので、必ずしも自分の望みが叶うというわけではありません。
だから、自分が自分で「正しい!」と思っていても、そうじゃない時がある。
それはいつか?
それは、たとえばあなたが「自分が絶対正しい!」と“絶対”という言葉をつけてしまう時、これはもしかしたら何らかの発作でそのように思い込んでしまっているのかもしれません。
もちろんあなたが間違っていて相手が正しいとか、そういう二極論の話ではないのです。
ただ「意識は有限、無意識は無限大」と考えた時、そこにあなたが全く予想もしていなかった素晴らしい世界が意識の外側には用意されているのかもしれない。
だけど、なかなか自分の枠組みを変えるというのは難しくて、そうでなくても自分の行動パターンや考え方の癖というのは、生きていると習慣として身についてくるものだと思うんです。
なので、これはあなたがもし、ほんの少しでも「今いる自分の世界を変えたい!」と思うならば、試してほしいんです。
頭に「心よ!」とつけて、自問自答してみましょう。
「心よ!どうして私は母親のことをウザイと思うの?」と聞いてみると、心は「そうだね、それはあなたの意識では母親の世界から離れないと大変なことになる!と思って、怒りを感じている。だけど無意識では、あなたが母親に心配されればされるほど、母親の毒牙にやられて、もっともっと怒りを感じさせられることになる。なぜならそこには母親の愛はないから」と答えてきます。
この「心に聞く」という作業は、心理カウンセラーの大嶋信頼先生がカウンセリングの手法として用いている方法です。
頭に必ず「心よ」とつけて心の中で自問自答することで、心はあなたが思ってもいない新たな選択肢や、考えもしなかった答を出してくれます。
そして自分自身の考えや選択の幅が広がった時、そこには今まで見てきた世界のさらに「外側があるんだ!」という感動がそこにはあるのかもしれません。
意識を越えた無意識の中にこそ、無限の愛があるのです。
(つづく)
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