大嶋先生の【あなたを困らせる遺伝子をスイッチオフ!】を何度目かの再読をしていて思い出したことをつらつらと書いていきます。
目が合ってビビビッ!はやばいって!
占い師をしていた時にご予約をくださった初対面のお客様が、私の占術も経歴も得意分野も何も知らないようだったので「なぜ私を選んでくださったんですか?」と聞いてみた。
すると、「目が合ったから!」と仰った。
【あなたを困らせる遺伝子をスイッチオフ!】の中で、「人と目が合ったときに発作が起きる遺伝子コード」が出てきます。
CASKです。
私はずっと人の目を見て話すのが苦手でした。
だけど、人の目を見て話さないのは失礼だと思い、中学生の頃はどんな苦手な人であっても相手の目を見て話すように努力していました。
今では人の目を見て話すことにそこまで抵抗はないのですが、稀に「この人の目、怖い!」という人がやっぱりいます。
目力がある、というのでしょうか。
相手は責める口調でもないし怒っているふうでもないのですが、目が怖い人の目を見ると蛇に睨まれた蛙のように委縮してしまいます。
あれってきっと、CASKなんですよね。
で、私の宣材写真を見て「ビビビッ!ときた」と仰る方は、きっと写真を通して私の妖怪遺伝子に反応してくださったのだと思います(´;ω;`)
人の目を見て「あの人怖い!」と発作を起こす私もまたストレスを脳に帯電していて、周りにいる人も一緒に感電させていたんです。
こうやって内省できるのは、大嶋先生が本の中で「すみませーん!それって私がどうしようもない頑固者で妖怪遺伝子が私に反応して緊張していたってことですよね!」と書いてくださっていたから。
自分の特徴的な遺伝子がオンになっていることで相手に発作を起こさせてしまうことって、あるんだな~…と認めちゃいます( ノД`)
尊敬することでスイッチオフ!
【あなたを困らせる遺伝子をスイッチオフ!】の本は、「特徴的な遺伝子がオンになっていると人を尊敬できない」ということと、「尊敬することで特徴的なスイッチをオフにすることができる」という話が書かれています。
私はメインの占術がタロット占いの占い師なのですが、トートタロットの大アルカナに「技」というカードがあります。
ライダーウェイト版では「節制」のカードです。
トートタロットで「技」のカードが出た時に、お客様に「尊敬し合うこと」とカードを読んでお伝えします。
けれど、お客様は「人を尊敬できないし、尊敬できる人なんていない!」と仰います。
その気持ち、すごくよく分かります。
なぜなら、私も人を尊敬できない人だったからです。
でも、人を尊敬できない時こそ「何らかの妖怪遺伝子がスイッチオンになっているのかも!?」とダウトできるチャンスなんですよ。
しかし、特徴的な遺伝子がオンになっている時ほど「〇〇さんってすげー!」って言いたくないし、遺伝子コードや呪文も断固唱えたくない!
だって、私を嫌な気持ちにさせてくるアイツが悪いんだもん!
今感じている怒りや不快感はたしかになくしたいんだけど、呪文や遺伝子コードを唱えてサクッと消えてしまったら、なんだか悔しい。
だから、不快感がずっとぐるぐるしているのは嫌だけど、どーーーしても唱えたくない!
けれど、こんな時は「遺伝子の分厚い壁がある!」と思ってみる。
特徴的な遺伝子がなんでオンになるの?というと、自分を守るためだったんです。
特徴的な遺伝子は他者から自分を守る頑丈な「壁」であるから、その向こう側にいる人は自分とは違う恐ろしい生き物のように見えて怯えていた。
だから、自由に憧れながらも、特徴的な遺伝子をオフにして壁をなくすことがとても怖いと感じてしまう。
それが、怒りや不快感を消したいけれど、消して本当に大丈夫なの?という感覚なんだと思います。
なので、何があっても唱えたくない!!と思う遺伝子コードはぶ厚い壁なのであると考えてみると、「ちょっと唱えてみてもいいかも?」と抵抗感が小さくなる。
本の中では、全く尊敬できない人の名前を借りて「〇〇さんってすげー!」を唱えているお話が出てきます。
でも、私はどうしても苦手な人や嫌いな人の名前で「〇〇さんってすげー!」と言うことができませんでした。
ただ頭の中で言うだけじゃないですか。
誰に言うわけでもないのに、ただ頭の中で唱えることすら心底嫌でした。
もし嫌いな人の名前で「〇〇さんってすげー!」と唱えると、ものすごい変化が起きると言われても「絶対ムリムリムリ!」と頑なに唱えられませんでした。
しかし、大嶋先生の狙いは、嫌いな人や苦手な人の名前で唱えてみて!ということではないんです。
「〇〇さんってすげー!」と唱える時に、「〇〇さんは尊敬できるけど〇〇さんは尊敬できないなあ」と優劣をつけてしまうと特徴的な遺伝子のスイッチがオンになってしまうから、「どんな人の名前でもすげー!」と言うブッダ方式が採用されているわけです。
それを理解した時、「〇〇さんってすげー!」ってすげー!!と思いました。
なんて美しい呪文。
私が「本当に尊敬している人の名前は唱えられるけど、尊敬してない人の名前は唱えられない!」と感じていたことこそ、特徴的な遺伝子がスイッチオンになっていた証拠だったんです。
人を尊敬できないことがダメなのではありません。
人を尊敬できないと次々と妖怪遺伝子がオンになってしまって、本来の自由な自分で生きられなくなってしまうから。
「こんなの本来の私じゃない!」はあながち間違ってない
じゃあ、本来の自分って何なの?ってなる。
たとえば、「なんであんなこと言っちゃったんだろう…」とか「あんであんなことやっちゃったんだろう」と後になって悩むことがある。
「本当はあんなことしないのに!」と。
これって、実は間違ってないと思うんです。
私の場合、「嘘吐きな自分」をずっと恥に思ってきました。
小学生の頃に優等生だった私は、夏休みの宿題にまったく手をつけてないことがバレたくなくて、友達に「なっちゃんはもちろんもう終わってるよね!」と言われて「もちろん!」と答えたこと。
これが私の一番強烈な嘘吐き体験なのですが、この後もFAP療法を受けるまでずっと誰かとコミュニケーションを取る時に虚言癖のように嘘を吐いていました。
簡単に言うと「他人によく見られたいから」となります。
でも、自分では「どうして本当のことを言えないんだろう」と咄嗟に真実ではないことをパッと言ってしまうことに罪悪感がいっぱいでした。
都合が悪いことを隠してしまう醜い自分、といった感じで…。
FAP療法で心の傷がどんどん整理されていくと、ストレスに対してその場で適切に反応することができるようになったので、解離して真っ白にならずに嫌なことを嫌!と言えるようになりました。
けれど、時々なぜか以前のように嘘を吐いてしまって、後でものすごく反省することがあったんです。
それはもしかしたら、てんかんの妖怪遺伝子を持っている相手を前にした時だったのかもしれません。
ある時に、仕事で「あれはどうだった?」と聞かれた時に、「しまった!確認してない!」と思ったのですが咄嗟に「〇〇じゃなかったですか?」と本当かどうか分からないことを言ってしまいました。
意識では、「この人いっつも言うことがコロコロ変わるから、やっぱり今日も何も言われていないけど一応自分が確認しとけばよかった」と過去の判断を悔やんだり、「だって今日はやらなくていいって言ってたから、確認しなかったんじゃん!」と相手のせいにしていました。
それで帰ってからも「次会った時に適当に言った嘘がバレて怒られたらどうしよう…」とものすごく怖くなってきて、「なんで正直に確認しなかったと言わなかったんだ!」とぐるぐると悩んでいました。
相手のせいにしつつも、「嘘を吐いた自分」がすべて悪いんだと思って、絶望的な気分になっていたんです。
そんな時に、ふとこの本を思い出しました。
この相手とはじめて関わった時から、相手はビビビッ!と感電させてくるタイプだな!と思っていました。
それで、相手の気分に巻き込まれないように発作またぎをしたり、リフレーミングをしたりして「自分のもの」にしてしまうのをずっと回避してきていました。
しかし、嘘を吐いてしまった瞬間に「せっかくトラウマ治療をしてきたのに、嘘吐きが治ってない!」と昔から何も変わっていない自分が一番ショックでした。
結局、自分は都合が悪くなると逃げてしまう人間なのか、と…。
けれど、少し時間が経って冷静になった時に、「あれ?この人、そういえばいつも私以外の人に嘘吐いてたな」と思い出しました。
実はこの方、ものすごいクレーマーで、しょっちゅう誰かとバチバチやり合っていたんです。
そして、自分に非があると思うとその場しのぎのことを言ってピシャッ!と会話を終わらせてしまいます。
そんな感じでコミュニケーションが一方的なので、まわりが困っていました。
そうして「もしかして咄嗟に嘘を言ってしまったのは、相手の脳を真似しているから?」と気づいて、さらに嘘を吐いた後にものすごく落ち込むのも、この方の思考の癖なのかな?と思った時に腑に落ちて、それまでの恐怖が消えてなくなりました。
そう、この方、発作的に怒りだしたり急に不機嫌になったりすることが多いのですが、頭の回転が速く素直でいつも気遣いしてくれる心優しい方だったんです。
ただ単に、私が相手の脳を真似したから咄嗟の場面で嘘を言ってしまっただけで、私が嘘吐きの最低野郎だったわけではなかったんです。
だからと言って、この方のせいでこんなことになった!ということでもありません。
私も同じ妖怪遺伝子を持っているから、反応し合ってしまうんです。
そう、まるでスタンド使い同士が惹かれ合うように…。
これは「怒りの脳」でも同じことなんじゃないかなあ、と思っています。
ずっと自分は怒りっぽいと思っていたのですが、怒りっぽい家族の脳を真似してるんじゃないか?と思ってみた時、同居していた祖父が常にイライラ怒鳴り散らしている人だということを思い出しました。
家族から離れたところでも、なんだか怒りが湧いてきて仕方ない!という時は、もしかしたら身近な人が脳に怒りを溜めているのかもしれません。
きれいに生きるのは難しいなあ、と思います。
でも、「きれいに生きるって何?」と考えた時に、私のイメージではいつもどんな時でも心の底から相手を思いやる笑顔でニコニコしていて、まるで悪意がない聖女のような女性を思い浮かべる。
なぜ、私はきれいに生きたいの?聖女になりたいの?
それはきっと、もうこれ以上苦しみたくないから。
聖女のように誰のことも許して、どんなことを言われてもされてもニコニコしていられる自分になったら、みんなに愛されるはず。
みんなに愛される自分は、もう苦しまないでしょ!
と思っているから。
これは私の「理想の自分」。
「今の自分」は、怒りや罪悪感でまみれた薄汚いボロ雑巾のような自分。
そして、この2つをそれぞれ右手と左手に乗せて胸の前で合掌すると、私の目の前に出てきたのは、相手がめちゃくちゃ怒り狂っていても爆笑できる自分。
さっきの「理想の自分」は、相手が怒っていたら「どうしたの?」と相手に寄り添う優しい笑顔を見せる自分。
本来の自分はそうじゃなくて、相手が怒り狂っていたら「何怒ってんだよ!(爆笑)」と笑える自分のようです。
相手が求めているものは、必ずしも優しい言葉がけではないのかもしれませんね。
私も哀れまれると発作を起こすGABRG2の持ち主だったんで、よく分かります。
怒っている時ほど、ユーモアのある気の利いたことで私を笑わせてほしいんですよ。
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【理想の自分と現在の自分を統合する】メソッドは、他の大嶋先生の書籍に何回か登場してきます。
ちょっと今、全部は思い出せないのですが、【毎日がうまくいく 朝のスイッチ】には確実に載っています。
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