PR
スポンサーリンク

YouTubeのスクリプトに込められた願い。

ひとりごと
スポンサーリンク

地元には大和川があって、そのまわりを囲うように堤防があります。

夏はその堤防を自転車で通って図書館に行ったりサティに行ったりしていました。
春は桜が咲くので、ゆっくり歩きながら桜の写真を撮ったりしていました。

たくさんの思い出が、その堤防にはあります。

私が失恋した日も、勝負に負けて悔しかった日も、何者になりたいか分からなくて途方に暮れてる時も、いつも私はその堤防を歩いて、考えていました。

その堤防からは月がよく見えます。

高校生の時に父親に買ってもらったデジカメを学校に持って行っていたのですが、帰り道にこの堤防の景色を毎日撮っていました。

橋に自転車を停めて三日月を撮る日もあれば、夕暮れの美しい茜色のグラデーションを撮ったりしていました。

話は変わりますが、私は昨年までバーンアウトしてました。
キッカケは、とある競争に負けたことです。

周囲から見たらぶっちぎりの2位です。
でも、私からしたら1位と大きく差を開けられた2位でした。

私はそれまで勝負ごとをあまり経験したことがなく、「悔しい」という感覚もなかったのです。

もしかしたら、自己犠牲をしていたから感覚が麻痺して「悔しい」を感じられていなかったのかもしれません。
「私が勝つぐらいなら、あなたに幸福を!」という偽善者ぶった人間だったので、誰かに負けたくないと思ったことがなかったのです。

「悔しい」という感覚ももしかしたら周囲に影響されて出てきた私の感情かもしれませんが、当時の私は挫折して一切働けなくなりました。

仕事が成功するには『誠実性』が特に大事だという話でしたが、それまでの私は休まず働いていたのに、ついに色んな人を裏切って引きこもりました。

その時に書いていたのが、今YouTubeに投稿しているスクリプトたちです。
私はあの頃のことをスッカリ忘れていたのです。

あのスクリプトを書き始めた経緯は、単純にnoteが流行ってたからなのですが、YouTubeに投稿するためにスクリプトを毎日読んでいると当時の自分のことを急に思い出してきました。

あの頃からFAP療法を使って仕事をしたかった私は、でも何から始めて良いか分かりませんでした。
今でこそマーケティングの本をたくさん読んで「面白い!」と感じていますが、その頃の自分はコンサルとかマーケティングとかを嫌悪していました。
(同族嫌悪みたいな感じです)

私が当時あのスクリプトに込めた気持ちは、きっと萎えてしまった自分の心を取り戻したかったのだと思います。

実はAmeba Owndに一番最初に催眠スクリプトを投稿していたのですが、その時のスクリプトはきちんと「恋愛が上手くいくスクリプト」とか「仕事でイライラしないためのスクリプト」みたいな名前をつけているのです。

まあ、noteですし、「催眠スクリプト」と言っても分かってもらえないから小説風にしようとしたところもあったのでしょう。

だけど、毎朝毎朝、あのスクリプトは実は出勤前に早起きしてnoteに投稿していたのですが、自分の折れてしまった仕事への心を何とかしようと必死だったのだと思います。

あのスクリプトたちを書いてから3年経ちました。
ちなみに、noteは3か月ぐらいで唐突にやめてます。

当時と現在が繋がっているとしたら、3か月という短期間でnoteを書かなくなったことも何か理由があるのかもしれません。

だいたい人の細胞というのは3か月ぐらいで入れ替わって変化が出てくるので、それとも関係があるのかもしれませんね。

いろんな仮説を立てることはできますが、私があの頃に書いたスクリプトを今の自分が読んでいることを不思議に思います。

3年前、noteのラジオに書いたスクリプトを投稿してみようと思ったけれど、5分しか投稿できないから断念していたこと。
芸名みたいなもので仕事をしていたので、顔出しでYouTubeをするには会社との契約上難しかったこと。

そして何より時間がなかったこと。

3年前、こうやってここにいるとは全く予想していませんでした。

今、私は生きてきて一番幸せなのかもしれません。
この日のために、悩んだり傷ついたりして、多くの知識を得てきました。

 

本日のメタファー:地元の堤防の小さな橋

コメント

タイトルとURLをコピーしました