私も無意識を起動するために「焼豚」をずっと作っていました。
(焼豚の話は『無意識さんの力で無敵に生きる』より)
焼豚を作るという極限状態を経験しないと、自分の無意識は働かないと思っていました。
ある意味それは間違っていなかったかもしれませんが、毎回毎回焼豚を作るのは苦労します。
「絶望」の中にしか自分の希望はないと思っていたから、いつでも「絶望」を見なければいけないと思って、あえて自分を苦しめていたのかもしれません。
だけど、「無意識」と唱えるだけで無意識が起動することを、私たちはすでに知っています。
でも、「唱えただけで、無意識が起動するわけがない!」と思ってしまう自分がいたりもします。
だから、自分の「考える」という意識を捨てるために、焼豚を作ろうとします。
「考えなければ無意識が働く!」と分かっているのに、考えることをやめられない。
ところで、私は椎間板ヘルニアを発症してから、ようやく自分の体が悲鳴を上げていることに気づきました。
それまでも「しんどいなあ」と思うことはあったけれど、「体調が悪い自分が悪い」と思っていたので、大したことではないと見て見ぬふりをしました。
ヘルニアになってから、出来ないことが増えました。
たとえば、イスに座っていられないこと。
普通は、立っているより座っているほうが楽だと思います。
だけど私は、30分も座っていると腰がひどく痛むので、立っている方が楽なのです。
そんな感じなので、車や電車に乗るのは辛いですし、座ってられないから読書もできなくなりました。
腰が痛くて料理すら出来なくて、睡眠もしっかり取れない。
不自由なことが増えて初めて「自分は嫌だと感じている」という気持ちと向き合えたのです。
私のヘルニアはほんのちょっとしか出ていないので、全く手術をする必要がないそうです。
でも、激しく痛みます。
我慢できないぐらい痛みます。
そうなって初めて、「〇〇するのが嫌だ!」と感じている自分に気づいたのです。
「嫌だ」「不快だ」と思っている事実に1つ気づくと、その後は芋づる式に「あ、これも嫌だ」ということに気づいていきます。
なので、初めて人生の「嫌だ」を自分で受け止めた時に「自分はワガママだなあ」と思ったのです。
それまで、嫌いな食べ物がない自分が誇りでした。
けれど、「米が苦手だ」とか「血糖値が急上昇すると眠くなる食べ物を食べたくない」とか、「嫌だ」に気づいたら自分の体に合うものと合わないものも分かってきたのです。
こんなことを言っていると、我慢して生きている人たちに「好き嫌い多いね!」と言われて「ガーン!」となって、自分を責めてしまいます。
だけど、そうやって足を引っ張られることで「そんなこと言ってくる人は苦手だ!」とちゃんと気づけて、適切な距離を取れるようになっていきます。
今までだったら、「好き嫌いがある自分はダメなんだ!」と相手の言葉を真に受けて、相手の言葉通りの自分になろうと努力していました。
だけど、本来の自分を無視して努力しても、それは一時的に取り繕っているだけなので、自分の中にどんどん怒りが蓄積していきます。
その蓄積した怒りも「感じてはいけない」と蓋をすることで、ますます人が嫌いになっていきます。
「どうして私はあなたの望む姿になってあげてるのに、文句ばっかり言うの!」と。
お金の問題もこれと一緒で、お金があればあるほど私たちの心は安心するかもしれませんが、同時に「稼ぐ自分は醜い」という感覚が隠れているのかもしれません。
なぜかというと、稼いだお金で好きな物を買う自分は「利己的な人間だ!」とどこかで自分を裁いてしまうから。
「自分のために人のお金を使って!」と自分を裁いて罰しているから、ムダな物に湯水のごとくお金を使ってしまって「あーあ、何も残らない!」となってしまう。
じゃあ、「お金をリスペクトしたら、お金が貯まるんじゃない?」と思ったのです。
占いの世界の話なのですが、「財布の中の札束の向きを揃えてキレイに入れておくと、お金に好かれる」なんてジンクスがあります。
私はこの話を信じ込んで、財布の中のお札を毎回キレイに全て揃えて入れていました。
生活が荒れると心が荒れるのか、心が荒れているから生活が荒れるのか、その両方か分かりませんが、「どこかを整える」ことでお金がなくても満足できる自分にも気づきます。
つまり、お金がなくて枯渇しているのは実際の経済状況に見せかけて、「自分の心」だったのです。
そりゃあ、お金は最低限ないと毎日が不安で不安で落ち着かなくなって苦しいと思います。
だけど、「お金がない=ダメな自分」とどこかで繋ぎ合わせてジャッジしてしまっているのは、私のマネースクリプトが金銭崇拝だから。
(マネースクリプトに関しては、メンタリストDaiGoさんの『収入の9割はマネースクリプトで決まる』が分かりやすいかもしれません)
お金を持っていない自分はどうして価値がないと思うの?というと、心のどこかで「お金がないと何もできない!」という万能感を自分が持っているから。
それなら、この万能感を捨てて無意識を起動できたら、お金持ちになれるの?というと、そういったわけでもないようなのが無意識のすごいところ。
無意識はいつでも私の味方で、私が望む方向に連れて行ってくれる。
「お金がない私」はいつもそれを忘れて「なんでお金がないの!」と無意識を責めてしまうけれど、「お金がないのは無意識の采配かも?」と思ってみると面白い。
私は人のことも無意識のことも知らぬ間に「敵」だと認識してしまっていたけれど、私に触れるものはすべて味方で、私の人生を作ってくれる豊かな脇役であると考えてみると、「お金がない私」の人生を楽しめるかもしれない。
するといつしか「お金がない自分」を責めなくなった時に、お金よりも大切なものが見つかるかもしれない。
「持っているものはますます豊かになる」。
私は持っていない自分の人生を嘆くのではなく、持っている自分の豊かな人生を讃えたいと思う。
本日のメタファー:絵本の金魚
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