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母親の望む世界と違う世界を生きる覚悟

ひとりごと
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私は、自転車で田舎の道をあてもなく彷徨うのが大好きです。

だけど、田舎だからどこまで行っても何をしていても「一人では寂しい」と思ってしまう。

じゃあ、私は一体何がしたいの?と高校生の自分が自分に問いかけた時、「私は何をしたら楽しいのか分からない」と私に言います。

そう、文庫本を読んだり、漫画を買ってみたり、好きな音楽を聴いたりしてみたけれど、どこか心が満たされない感覚があって、何をしていても焦燥感を感じる。

「もっと刺激的なことはないの!」と毎日生き急いでいたから、夜もろくに眠れずに、午前3時頃に眠る父親よりも遅くまで起きて、翌朝の電車にギリギリ遅刻するかしないかで乗り込む。

いつも人にイライラしていたから、友達に何を言われても「私のことを分かってない!」と思っていたし、かと言って共感されても「あなたは違うでしょ!」と思ってしまう。

これを心理学用語で“ユニークネス欲求”と言います。

人と同じでないと不安になるので同じものを求めようとするのですが、逆に人と同じ過ぎると「個性」を出そうとします。
(通信教育大学のレポートで、私はゴスロリファッションを着る自分についてこのことを書きました)

人と同じでいたいけれど、人と違っていたい。

どっちやねん!って思っていたけれど、当時の私に足りなかったものは「安心感」だったのではないかと心は教えてくれます。

当時の私は、3年間片想いしているイケメンに話しかけることすら出来ず、勉強も手につかず、毎日自作の詩を書いては作詩用のノートを工作していました。

「何もできていない!」「毎日楽しくない!」と思っていたわりに、当時の私の創作物は今の私でも「おお!」と感動するぐらいアーティスティックで良くできています。

イラストにしたって、私は中学生の頃から絵が上手い友達グループにいたのですが、私は全くイラストが描けませんでした。

高校生になって毎日日記をつけるようになってから、知らぬ間にノートにイラストを描くようになっていって、今思えばあの頃の私は、今の私よりも画力や想像力があったのです。

あの時は常に「ない。ない。ない。」と思っていて、お腹を空かせた虎のように、私の血となり肉となるものを血眼で探していました。

彼氏が欲しい!
誰かに愛されたい!
一緒に遊べる友達が欲しい!

でも、これって全部「認めてもらいたい」だったのかもしれません。

認めてもらったら、「安心できる」と思っていたから、何者かになりたかった。

でも、家ではいつも母が辛そうにベッドに横たわっているし、父親は仕事から帰ってきたらすぐにゲームを始める。
妹とは仲が悪いので一切喋らないし、階下に住んでいる祖父母のテレビの音や怒鳴り声にイライラする。

「早く何かしないと!」といつも焦っていたのに、未だに私は何十年経っても何も成し遂げられていない。

あの頃の自分は「毎日怠くて横になっているだけで勉強がちっとも出来ない!」と思って心ばかり焦っていたけれど、今もさほど変わっていない自分がそこにいる。

でも、あの頃の自分と違うのは、「何かやらなきゃ!」という焦燥感が消えたこと。

なぜ、なんなに生き急いで眠れなかったのだろうか?

今なら、「あなたまだ高校生やで!」と思うのだけれど、あの時の私は「1年後にはもう生きていないかも!」というレベルで「何か早くやらなきゃ!」とやるべきことを探していた。

あの時探していた「やるべきこと」というのは、実は「知識欲」だと知ったのは大嶋先生と出会ってから。

私が心理学を学びたいなと思ったのは「人の心が知りたい」と思ったからなんだけど、心理学科を卒業しても人の心はちんぷんかんぷでした。

だから、結局臨床心理士の道は選ばなかったし、相変わらず人の気持ちを考えては動けなくなってしまったりイライラしたりして、「人って分からない」と思っていた。

そんな時に本屋さんで、あの分厚い緑色の背表紙を見つけて「トラウマ!」と知ったのです。

そう、あの当時の私にとっての「トラウマ」というのは大層なもので、人生で分かりやすく大きな事故に遭ったような人しか心の傷を持っていないと思っていた。

だから、私に「トラウマがあります!」なんて言ったら「なんて大げさな!」とか「本当に心の傷を持ってる人に失礼でしょ!」と怒られると考えていたので、自分にはトラウマなんてないというふうに思っていました。

でも、あの分厚い緑色の「トラウマ」という言葉に惹かれて読んでみたら、最初から最後まで私のことが書かれているじゃありませんか!
(大嶋先生の本を読んだことがある人は、みんなそう思ったと思います)

「これ!これ!これが知りたかったんや!」と思って、そこから大嶋先生にどっぷりハマっていきました。

今の私の毎日は、とても充実しています。

あの頃の私は、いつも何かや誰かを求めていて「あれじゃない、これじゃない!」と探し回っていたけれど、それはきっと心との対話が欲しかったのでしょう。

「心よ!あの頃に感じていた飢餓感は誰のもの?」と聞いてみると、心は「母親」と答えます。

「心よ!母親のどんなものを受け取って、あのような飢餓感を感じていたの?」と聞いてみると、心は「あなたは母親に愛されないようにするために惨めな子を演じる必要があった」と言います。

「心よ!どうして愛されないようにする必要があったの?」と聞いてみると、心は「あなたが本当に欲しいのは心の声だったから。神の声ではない」と言います。

占いが好きだったのも、昔どっぷりスピリチュアルにハマっていたのも、すべては私ではない声を聞きたかったから。
だって「私の声」って私のものじゃないと知っていたから。

私は心に聞きます。
「心よ、あの頃の私と今の私は、どう違うの?」

すると心は、「あの頃の私は母親に支配されていたけれど、今の私は自分の“快”を知っている」と言います。

「心よ、あの頃に入れられていた母親の支配はどんなもの?」と聞いてみると、心は私に美しい一面の花畑のイメージを見せてきます。

私の名前の由来である背の低い菜の花と、春のさわやかな風と、明るい声ではしゃぐ白いツバの広い帽子を被った私。

え?これが支配の内容?と出てきたイメージをちょっと疑いますが、心が出してきたイメージなので何か意味があるかもと思って探っていきます。

すると、その甘い香りがする爽やかな花畑は、あの当時の私に「焦り」を見事に入れていたことに気がつくのです。

だって、私にはそんな美しい光景は見えなかったんだもの!
その時の私の目の前に広がっていた光景はまるで地獄絵図で、こんな春の花畑のような美しい世界が広がっている場所なんて世界のどこにもないと思っていた。

だから、私はずっと「そんな美しい場所があるのなら見てみたい」と思って、ここではないどこかへ行こうとしていたのです。

「私がいるこの世界は嘘!」だと思いたくて、焦ってどこかへ行きたかったけれど、そんな場所などないことを知っていたから、どこに行けば良いのか分からなかった。

私はただ、知らないことを知りたかった。
でも、田舎の図書館には興味を引くような本は少なくて、私の話し相手もいなかった。

今なら、好きな本を読めて、話が合う人と好きな話ができる。

私の中の「美しい場所」というのは、そんな知的好奇心が満たされる場所であって、何もない花畑ではなかったのです。

毎日平穏に過ごすことも大事だけれど、その当時の私が求めていたものは、自分1人が生き抜いていく術を知ること。

あの花畑の支配のイメージは、そんな私の自立心を「母親の甘い罠」という形で削いで、どこにも行かせないように白昼夢を見させていたのかもしれない。
「あなたはどこに行ったって何もできないから、この何もない花畑でのうのうと過ごしていたら良いんだよ」と。

私は甘い花畑から出て戦場に降り立ったけれど、自分で選んだ食事を採って、自分の好きな本を読んで、自分が興味の赴くままに過ごす生活が欲しかった。

母親の望む平穏ではなくて、私は自分で何かを選んで生きたかったのだ。

 

 

本日のメタファー:地元の川沿いの道路を自転車で走っている光景

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