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家に籠っているはずが時間旅行していた話

ひとりごと
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小学校の登下校の道に、歩道橋がありました。
横断歩道を渡れれば早いのに、危険だから歩道橋を渡って向こう側に行きます。

私はなんとなく歩道橋を「怖い」と感じていました。

特に夕方、暗くなってきそうな時間帯に歩道橋を渡るのが苦手で、でも同じ区域の友だちはさっさと帰ってしまっているから、1人で怖さを我慢しながら帰り道を歩いていました。

中学校になっても登下校の道が苦手で、「なんでこんな長い道を歩かないといけないんだろう、暇だなあ」といつも思っていました。

中途半端に学校から遠い位置に家があったので、ギリギリ自転車通学にならなかったのです。
「歩いている時間が勿体ない!」と、その頃から私は毎日焦っていました。

だからと言って、家に帰って生産的なことをやるわけでもなく、日々何かに追われるような気持ちのまま、何も成し遂げられずに年齢だけを重ねていきました。

最近、【憂鬱デトックス】を読み直しています。

私は、小学生の頃からいつも時間ギリギリだったし(むしろちょっと遅刻していたし)、いつも「時間がない!」と焦っていました。

だけど、それって、私だけ地場が歪んでいたのかもしれません。

小学生の頃の私はとにかく緊張度が高く、明日は遠足だ!となると、「本当に明日遠足なの?」とか「何か忘れている気がする…」と目に見えないものに不安を感じてばかりでした。
今でこそスマホが普及して、心配ごとがあるとLINE一本で誰かに確認できますが、当時は家電しかなく、友達のお宅に電話するのも「迷惑じゃないかな…」と考えてなかなかできなかったのです。

そうやって小学生の自分は、常に先の心配をして、人の気持ちを先読みして、過去を後悔してばかりいたので、きっと人との流れがかなり違っていたのでしょう。

高校の卒業文集には「縁側で一緒にお茶を飲みたいおっとりしている人」NO1として選ばれていた私ですが、自分では「なぜ?こんなにせっかちなのに?」と不思議に思っていました。

自分の内面では、すごい勢いで暴風雨が吹き荒れていて「どうしよう!どうしよう!」となっているのが通常モードなのに、未来や過去や人の気持ちばかり考えて時空を旅していた私は、周囲よりも時間が進むのが遅かったのです。

なので、30歳過ぎても10代と間違われるほど若く見られます。
時空を旅しているから、私だけ時が止まっていて成長していません。
そして、いつまでも「学生ノリで若い」と思われることを恥ずかしく思っていました。
(年相応の落ち着きがないという意味で)

こうやって幼少期から時間旅行をしてエネルギーをそこに使っていたから、いつも疲れていて体が動きませんでした。
やらなきゃいけないことはもちろん、「あれをやりたい!」ということがたくさんあって、「あんなことできたら人生楽しいだろうなあ」とワクワクしているのに、疲れ切って動けない。

動けないと「このままじゃ自分の人生、終わってしまう…」と先のことを心配し出して止まらなくなって、さらに時空をこえる旅をしてエネルギーを使い果たしてしまう。

「なんで私はまだ20代なのに、こんなに疲れやすいんだろう」と長年疑問に思っていましたが、未来や過去にタイムスリップしまくっていたからです。

じゃあ「今だけを生きる!」としたら、疲れ果てずにきちんとやるべきことに力を注げるんじゃないか?と考えますが、それが出来ているならとっくの昔にこんな状況から脱することが出来ているはずだと思ってしまいます。

私がこのような時間旅行をせずに「今だけを生きる」ようになれたのは、2つのことがあったからです。

1つは、遺伝子コードを唱えること。
もう1つは、「不快な人」を切っていったこと。

遺伝子コードはなんとなく分かってもらえるんじゃないかなあと思いますので、ここでは割愛します。
「不快な人」を切るというのは、「今を生きる!」上で非常に効果がありました。

不快な人間関係ばかりの時は、家に帰って「さあ好きなことをしよう!」と思っても、昼間にあった嫌なあの人の言動を思い出すし、「もう寝なきゃ」と思っても「あの人を怒らせたかな…」と心配になってしまってなかなか眠れない。

1人でいてもいつも人のことばかり考えていて、「明日、怒られたらどうしよう…」とか最悪なことが起こる想像をいつもしていました。
私の場合は、最悪な未来を想像していなかった時に限って大変な目に遭うというジンクスがあったので、自分がショックを受けて立ち直れなくなっている未来ばかりを頭の中でグルグル考えることで「危機を回避しよう」と一生懸命でした。

でも、これってめちゃくちゃ疲れるんですよ。

そこで、いざ「不快な人を切ろう!」と思っても、「切ったら私の悪口を言い触らされるんじゃないかな」とまた不安になるし、「いや、でもこの人を切ったら良い情報が手に入らなくなるかも」と自分の今後の心配が出てきます。

それでも「十分不快感を味わったから、もう要らない!」と思って、思い切って捨ててみました。
すると、未来のことや過去のことを考える時間がグンと減ったのです!

「不快な人間関係をやめるだけで、こんなにも楽になれるものなんだ!」と感動しました。

手放す時は心の底から怖いけれど、怖くて罪悪感を感じる道が自由への道の可能性が高いと私は思っています。

憂鬱デトックス】とはまた違う大嶋先生の著書ですが、不快な人間関係の判断基準は、話した後に罪悪感や後悔を感じる人のことで、そして精神的なダイエットをしてみる。

頭の中が静かになって「今ここにいる自分のために生きている!」というのが、本当に心地良い!
これ、これなんです。
私がずっと欲しかったものは。
「生きている感覚」とは、未来や過去や人の気持ちにトリップせずに、今感じている自分の感覚に正直に生きることで、私が踏みしめた足跡の感触をしっかりと確かめることができるのだなあと、そんなことを感じています。

 

本日のメタファー:夜の歩道橋

 

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