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攻撃的な人をスルーして自分本来の能力を発揮するスクリプト

催眠スクリプト
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小学生の頃に使っていたのは竹の定規でしたが、大人になって好んで使っているのは、透明のプラスチックの30㎝定規です。

なぜ竹の定規が指定されていたのかは大人になってから知ったのですが、それは温度による伸び縮みが少ないからで、でも私は透明なものとか透き通って光を通すような素材が好きだったので、定規以外の小物も透明のものを使っています。

そして、「30㎝定規」と聞くと小学校3年生ぐらいの時の雨の教室の雰囲気が思い出されて、休憩時間のあの誰が喋っているのか分からないざわめきが脳内で再生されるのです。

おそらくそれは、雨の日の教室の薄暗い雰囲気が心地良く感じられていたからかもしれません。

そうやって思い出すのは、雨の日の教室で、何かの出し物に使う小道具を、教室いっぱいに段ボールを広げて作っていた時のことです。

そしてその時に、「段ボールのにおいは甘いにおいなんだ」とみんなに言ってみるけれど誰にも分ってもらえず、だけど大人になってからも「段ボールのにおいは甘い」と思っていて、あのカサカサする手触りと音をなつかしく思うのです。

そんなことを思い出していると、ふと掌に乗っている本の重みを感じてハッとしたのは、先ほどまで読書をしていて、あるページのある言葉を読んだ時に自然と過去のあの光景に浸っていたから。

それから、また読んでいた本に集中しようとしてその文字を追っていくのですが、ふと脳裏に先ほどの場面が浮かぶので、頭の中から何度も何度もその光景を追い返していきます。

それはまるで、私の耳元をブンブン飛ぶハエを手でしつこく払いのけるようなあの仕草を思い出して、私はちょっと自分で自分をおかしく感じます。

けれど、脳裏に何度も何度も浮かんでくるあの光景は、私を読書に未だ集中させてくれないようで、私は諦めてあたたかい紅茶を入れようとソファから立ってみると、窓の外の音から雨が降っていることに気がついて、だから肌や髪がいつもよりちょっと湿っぽく感じていたのか、と思ったのです。

そして、キッチンに立ってあたたかい紅茶を入れると、その濃く深い透明な紅茶色が美しく、そこから立つ湯気も儚くきれいで、この一瞬を永遠に収められたら良いのになあと考えます。

だけど、いつも私が撮る写真は見たままの美しい景色をそのまま映し出してくれなくて、何度も何度もシャッターを切ってみます。

そうやって幾度かを繰り返した時に、「自分の目で見たままの風景が一番美しい」と気づいたので、私はいつしかレンズ越しの景色ではなく、私自身の目で見る目の前の景色を強く胸に刻むようになったのです。

そんなことがあったなあと、紅茶から注ぐ湯気のゆらめきをぼんやりと眺めて、そしてそっとカップを両手で包むと、そのあたたかさがじんわりと掌に広がっていく感覚に安心します。

それから、この雨がやんだら、お気に入りのあの帽子を被って、近所のカフェにでも出かけようかどうしようかとちょっと考えて、あの店でかかっているジャズなのかボサノバなのかの音楽を聴きたくなってきます。

すると自然と私の手が、お気に入りのツバ広のハットに手を伸ばして、クローゼットの中からお気に入りのワンピースを見繕って、鏡の前でその姿を確認していると、外に出て行くワクワク感で体の内側がいっぱいになっていきます。

そして、まだ雨が上がっていないけれど、雨の日が好きになるように買った柄が私好みの傘が玄関の傘立てにあったことを思い出して、一気に階段を下りていきます。

さらに、お気に入りのカバンと靴を身に着けて玄関のドアを開けてみると、想像していたよりも明るい太陽の光が目に飛び込んできたのでビックリしましたが、ゆっくりと玄関のドアを閉めて鍵を掛けている間に、だんだんと雲の切れ間から太陽の光がのぞいてきました。

それを見て、せっかく傘を持って家を出たのに、もう一度玄関を開けて傘を置いてこようかと思ったりもしたのですが、買ってから一度も雨が降っていなかったので、今までずっと眠っていたこの柄が素敵な傘を、私は一緒に持って出掛けることにして、その柄を握る手に力を込め直します。

それから、玄関前の段差を1段下りて雨上がりのアスファルトを踏むと、パシャッと小さく水しぶきが上がりました。

そして、アスファルトの上を歩くたびに薄く溜まった水がパシャパシャと音を立てます。

すると、いつもとは違う私の足音がなんだか楽しくなってきて、私は歩く速度をどんどん上げて歩いて行きます。

そうやって歩く速度を上げていくと、だんだん私の楽しさも倍増していくような気がして、見慣れている近所のお家の庭のバラの花や、名前が分からない黄色や白の花の香りまでもが私の心を彩っていくようです。

そんな時に、向かい風が吹いてきたので慌ててツバ広帽子のツバをパッと掴んでみると、風とは別に私の脇をバイクが大きな音を出しながら追い越していきました。

そして、通り過ぎていくバイクの後ろ姿を眺めながら、また自分の足音に集中するのですが、お気に入りの服や小物を身に着けているのに、ただカフェに行って帰ってくるだけでは勿体ないかもしれない、と思ったりもして、じゃあ私は今どこに行きたいのだろう?と自分の胸の中を探ってみます。

そうすると、ふと頭に浮かんできたのは夕暮れの堤防で、「あの堤防で強い風に吹かれるのがとても気持ちいいんだなあ」ということを思い出しました。

けれど、もし今からあの堤防に向かうとしたら、夕暮れに間に合うかどうか分からない時間だなあと思ったので、私は今まで通ったことのない道を通って大通りに出ると、行き交う車の大きな音にビックリしましたが、あたりをきょろきょろとバス停を探してみます。

そうやってバス停を見つけたら、行先と時間を確認して、バスであの堤防まで夕暮れを見に行こうと決意して、見知らぬ土地に行くけれど、私が身に着けいてるお気に入りの物たちが私を守ってくれているような気がしてとても心強いのです。

そんなことを考えてながら、バスが来るだろう道路の向こうを見るけれど、まだバスの姿は見当たりません。

それから、私は行先がはっきりと決まったことになんだかほっとして、堤防についたらあたたかいココアを自販機で買って、堤防を歩きながら感じる強い向かい風の音を聞きながら、ゆっくりと啜って飲もうかなと楽しみになってきます。

そうして、あの堤防のあの冷たく強い風の向こうから聞こえてくる、大きい道路を行き交うトラックや車のかすかな音に思いを馳せると、高校生だった頃の自分に戻っていくような気がして、それはあの頃の「自分には何でもできる!」という感覚が私の中に広がっていくようなワクワク感を感じるのです。

そして、それはバスの窓から外を眺めている時にも頭を過っていきます。

そうすることで、今ここではないことに思いを馳せ、さらにバスが揺れる一定のリズムと機械的な自動アナウンスの声が相まって、夢の中にいるような不思議な感覚に落ちていきます。

いや、それはきっと、私の中に広がる安心感が、私を「今ここ」に感じる力を弱く薄くさせてくれているのかもしれません。

 

ひとつ、爽やかな空気が頭に流れてきます。
ふたつ、身体がだんだんと軽くなってきます。
みっつ、大きく深呼吸をして頭がすっきりと目覚めます。

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