子供の頃の記憶というのは、私にとって嫌な記憶ばかりだと思っていました。
専門学校を卒業して、家出をして大阪で一人暮しを始めた時に、はじめて「ひとりぼっち」を経験しました。
それまで、なんだかんだ彼氏と一緒にいたり、友達とオールで遊んだりしていたので、完全に「ひとり」にはなったことがなかったのです。
家に帰ってもしーんとしていて、朝起きても誰もいない。
ずっと望んでいたはずの「ひとり」だったのに、無性に家が恋しくて寂しい。
そんな時に、過去のフラッシュバックが脳内で絶えず起こり始めるのです。
それまでも過去のことを思い出して「あ゛ー!!!」となることはありましたが、静かな部屋に一人でいると、頻繁に過去の恥ずかしかったことが自分の中に流れ込ん苦しくなります。
それは高校時代のこともあれば、保育園の時のことを思い出して「忘れたい!!」と頭を抱え込んで絶叫したくなるのです。
そんな苦しさを紛らわせたくて、家にいる時は1日中花札フラッシュをしていました。
相手はAIなのでずっと勝てなくて、ゲーム中毒のように、いや、まるで何かに追い立てられるように死の恐怖から逃れようと、ひたすら花札とソリティアをやっていたのです。
凪が増えた今の私は全くそんなことを忘れていたのですが、もう本当に静寂が苦手でした。
仕事から帰ってきたら、まずは一人反省会が始まって、誰も喋る相手がいないからずっと過去のことを脳内でエンドレスリピートしています。
そんなんだから、いざ読書をしようと思っても文字が頭に入ってこなくて、ある単語を見ただけで次々と過去にあった嫌な出来事を思い出してはの脳内トリップをして白昼夢の世界に入り込んでいたのです。
だけど、不思議なことに、FAP療法をたくさんたくさん行ってトラウマがどんどんなくなっていった時に、あれだけ「私の過去は何も良いことがなかった!不幸でしかなかった!」と思っていたのに、楽しい思い出が蘇ってくるのです。
たとえば、私は実家にいる時はずっと鬱屈していて、いつも何かに怒っていて毎日が楽しくないし、家族とも会話をしていないと思っていたのですが、ある日ふと「そういえば、幼い頃に家の中で紙風船で楽しく遊んでいたなあ」なんて小さい頃の自分が満面の笑顔をしているあの場面が思い浮かんでくるのです。
他には、たとえばある人間関係で悩んでいた時に、FAPをしたり心に聞いたりして苦しみがスッと消えていくと、さっきまでは全く忘れていたんだけれど、その人と楽しく会話していた時のことが思い出されるのです。
「どうして今まで忘れて憎しみに染まり切ってしまっていたんだろう…」と思うぐらい、まあ鮮やかに記憶から抜け落ちてしまっています。
記憶って、都合良く自分の中で作り替えられるんだなあと、こんな時に思います。
だから私は、人によく「被害妄想」だと言われるんだなと。
じゃあ、なんでこのように楽しかった時の記憶が抜け落ちてしまって、いつしか憎しみと恨みと怒りでいっぱいになって相手を攻撃してしまうのか?
それは、私が母親の支配を受けているからなんです。
母親の支配で、楽しいことを憎しみ恨みつらみに塗り替えられて、そして人間関係を破壊させられている。
そう、私が入れられていたのは「母親以外に愛されない」でした。
母親以外に愛されないことを私は知っているから、人から好意を向けられても、そこに母親を投影してしまっていて試すような行動を取ってしまいます。
そのまま素直に相手の言葉を受け止めたら良いのに、母親の言葉で翻訳してしまうから「あなたは愛されていない」にすべて聞こえてしまうのです。
だから私の中で矛盾が生じてしまって、そして誰かに「これってどういうこと!?」と確認したくなってしまう。
「母親以外に愛されない私」は、母親以外の人に愛されようものなら、全力でそれをぶっ潰しにいきます。
そうじゃないと、母親に愛されなくなってしまいますもん。
なんで母親に愛されていないといけないの?というと、それが支配の恐ろしいところ。
支配者さんは、私たちに「この人に愛されないと死!」をナチュラルに入れていきているのです。
なので問答無用で、母親に愛されなかった私はもう生きてられない!となってしまうから、私は母親以外の人ではなく母親の愛を最優先にしてしまうのです。
母親以外にもいませんか?
「この人に愛されなかったら、この世の終わり!」と思ってしまっているような人。
私は特に恋愛関係の時に、心に確認してみます。
昔好きだった人が全員「支配者!」と心に言われた時はゾッとしました…。
(あくまで私の場合はです。直接支配と間接支配もありますし)
とても温和で世話好きな人とか、イケメンで「この人に愛されていたら自慢できるなあ」と言えるような人。
それがまさか「この人に愛されないとこの世の終わり!」という支配だったんなんて…。
そう気づくと、きちんと距離が取れるようになります。
支配とはちょっと話が変わりますが、「相手が怒っているかも」と気づくとちゃんと距離を取れるようになったりします。
別にそれまでも相手が怒らないと思っていたわけではなく、「相手を不快にさせてしまっていたら、どうしよう…」と不安になっていました。
でも、この不安って実は自己憐憫(ナルシスト)なのかもしれない?と気づいたのです。
「私のこと…嫌ってませんよね?」と確認したくて、「相手が嫌がっているかも…?」と思っているのにどんどん相手に近づいていってしまって、それで「やっぱり私のことを嫌っていたんだ!」とガーンとなるような出来事が起こります。
でも、ミラーニューロン理論で言うと、不快な感覚は相手のものであり、相手が「自分に怒っている」というのは、実は相手が「私が怒っている」と思っていることを受け取って、私が「あの人は私に怒っている…」と自分のものにしてしまっているということになります。
(つづく)
本日のメタファー:紙風船
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