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【絵本】橋の上で/くまとやまねこレビュー

書籍レビュー
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とある読書会で【絵本】のジャンルに興味を持ちました。

もともと絵本作家を目指している先輩の影響で、自分で絵本を作ってみようと思って早10年。
最近も催眠スクリプトとメタファーのイメージから絵本を作ろうと思い描いていたものの、なかなか手がつけられませんでした。

そんな時に、湯本香樹実さんと酒井駒子さんの絵本を教えてもらいました。

2冊読んだのですが、2冊とも過去の私のある記憶がよみがえってきて、とても心打たれました。
オススメです。
なつかしい感情の想起と、人生について考えさせられる感動の2冊です。

橋の上で

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2022年9月に出版された絵本です。

自殺について描かれた絵本と教えていただいて、心理学好きの私は「絶対に読みたい!」と思って本屋を探し回りました。

まず、酒井駒子さんの絵が美しいです。
繊細なタッチで、どこか空気に溶けて消えていきそうな儚さがあって、絵本のテーマとピッタリでした。

淡々と物語が進んでいきます。
感情が激しく描写されることなく、静かに男の子は川を見つめています。

私も、小学生の頃から毎日「もし、ここで人生を終わりにしたら」ということを考えていました。

そんな私は、海岸で拾った巻貝から「海の音」が聞こえることを、誰に教えてもらったか分からないけれど知っていました。

母親と一緒に浜辺で拾った貝殻は、大きなペットボトルを切った容器いっぱいに入っていました。
小さくて淡いピンク色の桜貝、小さくてもきれいに形が整っている白い巻貝、角が取れてザラザラしている色とりどりの雲ったガラスの破片―――。

辛い時は、小さな巻貝を耳に当てて、海の音を聞いていました。
何度も何度も、「あ!海の音が聞こえる!」と思って、その度に何かに繋がっているような安らぎを感じました。

そんな幼少期の体験を、思い出しました。

今はもう「巻貝を耳に当てても海の音が聞こえるわけないやん!」と思っていますが、それでも、もしかしたら巻貝からはやっぱり海の音が聞こえるのかもしれない。

何度も何度も聞いた聞こえるはずのない海の音は、あの頃の私を救ってくれていたのだろう。

私はまだ、心の底から「あの時、人生を終わらせずに生きていて良かった!」とは言えないけれど、水辺にいるみんなの姿を思い浮かべた時に、「生きていて良かった」と思えました。
いいえ、「あなたたちに会えて良かった」です。

人生のいろんな選択肢の中で、こっちを選んだから会えなかった人もたくさんいると思います。
でも、だからこそ、今出会えた“あなた”に思いを馳せた時に、それが良い出会いであったとしてもそうじゃなかったとしても、胸がぎゅっと締め付けられるような懐かしさを感じます。

私は、一人でもみんなの存在を感じながら、安心して今日も眠れるのです。
生きている中で出会ってきた人はみんな私の中の血肉であり、経験であり、そして「生きてきた証拠」なのだと。

くまとやまねこ

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月9ドラマ『海のはじまり』で登場して話題になっていた絵本です。

「泣ける」と教えてもらったのですが、心が乾いている自分は短い絵本で泣けるわけないじゃないかと思っていました。
結果、号泣しました。

私は高校生の頃、友達に譲ってもらったハムスターを飼っていましたが、高3の冬休みにしんでしまいました。

動物は死期を感じると飼い主の元を離れるという話を聞いたことがありますが、ハムスターもそうだったのか、しぬ前日に脱走しました。

「おかしいな、あんまり脱走したことなんかないのに」と思っていたら、翌朝冷たくなっていたのです。

すごくちゃんと世話を出来ていたわけではなかったけれど、それでもとても悲しくて、私は一番のお気に入りのきれいな箱にハムスターを入れて、きれいな花で敷き詰めました。
それが、この絵本の挿絵にそっくりだったんです。

しかし、母親からは「あんた、いつまでメソメソしてんの!」と怒られます。
友達にも「悲しい」と言えず、私はペットを失った悲しみを誰にも知ってもらえず、自分の中で消化するしかありませんでした。
そしてそれは、母方の祖父が亡くなった時もそうでした。

人の生死に関わることでなくても、失恋したり、仕事で大ミスをしたり、人間関係で落ち込むことがあったり、人生の中ではたくさんの深い悲しみを感じてきました。
そのたびに「この世の終わり」みたいな気持ちになって、くまのように自分の家の中に閉じこもって、薄暗い部屋で昼も夜もぼーっと固まって動かず過ごします。

だけど、数か月、数年経ったら、あれだけこの世の終わりだと絶望していたあの痛みが過去のものになって、立ち直って生きているんです。
そんなことを何度も何度も経験して、ようやく最近になって「今のこの深い悲しみがあっても、時間が経てば自分はちゃんと乗り越えてまた立てるはずだ」と自分の強さを知ったのです。

物語のくまも、一時は孤独に悲しみと向き合って心を閉ざしていました。
それがどんなに辛いことか想像できます。
誰の慰めも気休めにしか聞こえない、あの胸が裂かれるような辛さを。

でも、暗い部屋で時が過ぎていくと、あの悲しみを忘れたくないはずなのに、お腹は空くし、空は美しいと思うし、音楽は楽しいと感じてしまうのです。
だから、また「自分のために生きてみよう」という勇気が出て、ちょっと外に出てみます。
すると、もしかしたらやまねこのような人に出会うのかもしれない。

やまねこのように、今まで自分が出会ったことがないタイプの人と出会って、悲しみがただの悲しみから、今まで封印されていた良い思い出を思い出せるかもしれません。
そうしたら、今までとは違った視点で“悲しみ”を捉えられるようになって、その時はじめてその“悲しみ”に墓石を立てられます。

新しい出会いは、私を大人にさせてくれます。
くまも成長したように、相手に言わなくて良いことを言わない強さを持ち、少し大人になれるのでしょう。

そう、何度絶望が訪れたって、私は自分の幸せを諦めなくても良いのです。
悲しみの向こうには、新しい幸せがあるはずだから。

誰かと離れても、生きている限りまた誰かと出会って、その誰かと新しい物語を始めることができる。
「あの人とこの物語を歩みたかった」と思うかもしれない。それを諦め切れないかもしれない。
それでも良い。

大切なのは、生きている限り、私は私を諦める必要はないということ。
この絶望は、永遠に続くわけではないということを知っているはずなんだ。

 

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