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自分を大切にする方法は、自分の「快」を知る

ひとりごと
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私の家の玄関は和風の擦りガラスが入っている扉で、左右どちらからでも開けることが出来ます。
その扉のすぐ左側には、縁側に面した庭に入る小さな扉があって、私はその扉を気に入っているのですが、なかなか入る機会がありません。

なぜなら、なんとなく家族の暗黙の了解で「庭は祖父母のもの、2階は私たち家族のもの」と決まっていたから。
母親が祖父母のことを嫌っていたので、迂闊に祖父母のものを触ったりすることはできませんでした。

でも、私は母方の実家の洋風の広い庭も大好きで、大人になって家を建てるなら、絶対に「庭つきの家が良い!」と思っていました。
私の世代だからかもしれませんが、「大きな庭があるほどお金持ち」というイメージがあったからかもしれません。

時が過ぎて、私は大人になりましたが、良い意味でも悪い意味でも、当時思っていたような大人にはなっていません。

私は所謂“ゆとり世代”“就職氷河期”時代の年代です。
だから、小さい頃は「将来は結婚して子供を産んで当たり前」だと思っていたのですが、いつのまにか独身でお子さんがいらっしゃらないご夫婦が多くなっています。
就職も、大学を出ないといけないと思っていたし、就職は必ずするものだと思っていたので、30歳までアルバイトだった自分を恥じていましたが、それまで貯金がなかったのに、個人事業主になっていきなり貯金が出来るようになりました。

人生って、何があるか分からないもんだなあと思っています。

私はまだ38歳ですが、30年間で世の中は大きく変わっただろうし、両親の世代から見ても想像していなかった世の中になっているのではないでしょうか。

そんな時代の変遷の中、私は、稀に自分を見失いそうになるのです。

時代の流れについていくのが正解なのか。
それとも、どんな時代であっても見失わない自分の信念のようなものを大事にすべきなのか…。

トラウマをたくさん取ってきて気づいたことがあります。
それは、いくらトラウマを取ったとしても、「私」が見つからないことです。

大嶋先生は【支配されちゃう人たち】の中で、<心の答は“ゆらぎ”がある>と仰っていました。

心の答って、聞くたびに変わったりしますよね。
「あれ?この前は〇〇って言ってたやん!」と、どれが本当の答か分からなくなってしまいます。

だけど、心の答に“ゆらぎ”があるのが正解なのです。
なぜなら、支配とは<一貫性がないことを罰する>から。

FAP療法でトラウマを取るまでの私は、クソ真面目な人間でした。
傍から見たら忍耐力があると見えていたかもしれませんが、ただ変わるのが怖かっただけ。
同じことを根気強くやることが出来ていて、むしろ「一度決めた通りに行う」という強迫的な感じになっていたと思います。

つまり私は、予定変更することが苦手で、自分のやり方を変えることに不安を覚えるこだわりが強い人間だったのです。

そのこだわりが自分を苦しめていることも分かっていました。
だけど、最初に設定したやり方を変えるということは、自分が許さなかったのです。

今の私は、しょっちゅうやり方を変更しては、コロコロ変えて一貫性がなくなってしまったと自分では思っているのですが、そこに罪悪感を感じるのは「支配だったんだなあ」と懐かしく思います。

また“支配”とは<怒らせられて相手に執着させられること>で成り立っているのですが、それは相手のことを思い出せば出すほどミラーニューロンの繋がりが強くなってしまうから。

イライラして眠る時にまで相手の顔やムカつく言葉を思い出してしまうのは、あれは支配だったんですよね~。

ある時、セルフFAP上級をしていると、どす黒い紫色のイメージが出てきました。
腐りかけているような色の悪い紫のバラと、その後ろに鈍い銀色の鎖がジャラジャラと見えていて、それが視界いっぱいに広がっている。

「なんだろう?これは」と思って、しばらくそのイメージを眺めていましたが、バラが“無意識”の象徴なのだとしたら、そのバラが朽ちて腐っていくことで私は「無意識は有限」とどこかで思わされていたのかもしれません。
鎖も錆びているイメージで出てきていたので、私を縛る鎖はいずれ時がきたらボロボロになって、その鎖から逃れられる…と思いきや、鎖が朽ちる時にはバラも朽ちてしまうから、セリグマンのあの犬のようになってしまう。

ちなみに紫のバラの花言葉は「尊敬・気品・誇り」です。
私はずっと自分の子供っぽいところが大嫌いでした。
それが、とあるマナー講座を受けに行った時に分かったのですが、動作がせかせかとしていて落ち着きがないし、早口だからだったんです。

「気品」というのは、余裕がある落ち着いた態度から醸し出されるそうです。
だけど、「動作をゆっくり!」と言われて自分なりにゆっくり行動していても、私の呼吸のペースは人よりも早いようなのです。

それは、ある挨拶を「せーの!で一緒にしましょう」という場面でも起こります。
私だけテンポが速いのです。

なぜなんだろう?と考えた時に、ある恐怖が自分の中に湧いてきました。
「ゆっくり行動すると怒られる!」

これがトラウマなんですよね。
人よりも遅いと怒られるから、いつも人から何か言われる前に焦って行動する。
私の場合、「怒られる恐怖」というのが心の傷になっているので、死に値します。
つまり、怒られる=死ぬことです。

世の中では「死ぬこと以外かすり傷」と言いますし、「怒られたぐらいで死ぬわけないでしょう!」と健康な人なら思うでしょう。
でも、長年虐げられてきて、長期間家族に何をやっても怒鳴られるような環境にいたとしたら?

心の傷というのは、目に見えません。
目に見えないから、本人でさえも「そこに傷がある」と気づかなかったりします。

伊坂幸太郎も【魔王】の中で言っているではありませんか。
「形がないのに、壊れてしまうもの、なーんだ」と。

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そうなんですよ、壊れてしまうんですよ。
見えないから「まだ大丈夫」と思ってしまうけれど、大事にしないと傷ついてしまうんですよ。

だから、もっと自分のことに慎重になるべきだし、誰かの「怖い」を蔑ろにしてはいけないと、そんなことを思い出します。
相手の悩みは、自分の予測の10倍だと大嶋先生も仰っています。
(そう思うと相手の苦しみの責任を負わなくなり、適切な距離感を保てるというお話です)

まあ、私は物を壊れたまま使ったり、壊れていても酷使していたりしたので、それじゃあ人の心や自分の心なんて見えないから、もっと大事にできなかったんだよね…と思います。

占いのお仕事をしていても、占い師が「もっと自分を大切にして」と言うことがよくありますし、お客様が「自分を大切にするってどういうことか分からない」と仰ることも多いです。

“自分を大切にする”って、私は「自分の快・不快コード通りに行動する」ことだと思っています。
自分の感じる「不快」を無視してやり続ける必要はないし、本来「快」を我慢する必要もないはずです。
だけど、心の傷だらけだと、この「快・不快」すら分からなくなってしまっているんですよね。

だから、まず「不快なことをやめる」なのですが、「不快なことがそもそも分からない!」だったりします。

昔の私がゴミ部屋の中で生活していても何とも思わなかったように、人ってすぐに環境に慣れてしまいます。
でも、「慣れた」と思っていても、実は脳が麻痺しているだけで「不快」だとは思っているんですよね。

最近、私が「不快だなあ」と思っていてやり続けてしまっていたことは、「同じものを食べ続ける」です。
(お~!最初の“一貫性は支配”の話に繋がった)

3か月ほど前からダイエットを始めていたのですが、お手本にしているメニューが毎日ほぼ同じでした。
始めて2週間ほど経った頃に、目に見える変化が出てきて「すごい効果ある!」と思っていたのですが、同じメニューを1か月続けたあたりでグダグダになってきたのは「飽きた」から。
だけど、今のメニューをやめてしまうとリバウンドしてしまうかもしれない…となかなかやめられませんでした。

そんな時に、同じものを同じように毎日調理して食べるのが苦痛になってきたので、だんだん食事をするのが面倒になってきました。
そして、その内食事量が減ってきてしまったのです。

食べないと、逆に浮腫む感じになったり、ちょっと老けたりすることってないですか?
やつれるというか…。

「何を食べたいか分からない」状態になったので、そこで心に「心よ!私は何を食べたいの?」と聞くと、「スペアリブ!」と答えます。

これ…以前も心に「スペアリブ!」と言われたことがあるんです。
前回、心にこのオーダーをされた時は、仕事が忙しくて、カロリーメイトやサクッと食べられるものばかり食べている時でした。

あの時も「自分は何を食べたら美味しいと感じるのかが分からない」と思っていて、食事をすることが億劫になっていました。
そんな時に、帰宅の電車の中で心に何度聞いても「スペアリブ!」と言われるので、渋々スーパーが閉まる直前の23時にスペアリブを買いに行って、家に帰ってすぐに調理しました。

そしたら、涙が出るほど美味しかった!!

「これだ!私が食べたかったのは、これだ!」と。
そういえば、レンチンレシピばっかりだったし、パスタばっかりだったし、肉や魚なんてまったく食べていあなかったと思い出すのです。

さすがに今回はこの一連の流れを経験していたので「またか(笑)」と思ってスペアリブは買ってこなかったのですが、さらに心に「心よ!私は私のために真面目に真剣に何ができる?」と聞いてみると「しっかり食べて、しっかり寝ること!」と言います。
これもよく言われます(笑)

自分を大切にすることってこういうことなんだろうし、大嶋先生も「その日によって、“快”は変わる」と【「やる気が出ない」が一瞬んで消える方法】で仰っています。

人は生きているので、同じ毎日を繰り返しているようで、ちゃんと成長していっています。
だから、その度にちゃんと自分の心の声に耳を傾けて、聞いてあげる必要があるんですよね。

心は、日々変わる私を許してくれます。
逆に変わらない方が難しいと思います。

だから、昨日の自分と違って良い。
だから、明日の自分は今日と違って良い。
もちろん、同じでも良い。

あなたの“快”がそこにあるのであれば、選ぶ選択肢が変わるたびに、あなたは美しく輝く蝶のように飛び立っていけるでしょう。

 

本日のメタファー:朽ちていくバラと腐った鎖、どす黒い紫

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