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その「間違い」は本当に間違い?

ひとりごと
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私は小学生の頃から「物知りになりたい!」と思って、国語辞典のあ行から順にノートに写経していました。
そして、「宿題をしたくない」と思った時には国語辞典のコラムを片っ端から読んで、季語を覚えて、虹の色を覚えたりしていましたが、大して「何かの役に立った!」と思ったことはありませんでした。

たくさんの言葉を知っていたとしても、花の名前を難しい漢字で書けたとしても、私は人と楽しい話をできないし友達も増えない。
「賢いね!」と言われても、クラスのひょうきんものの男子が羨ましくて仕方なかった。

「なっちゃんは何でもできるね!」と言われるけれど、いつもドジばかりして先生に怒られているアホな男子に私はなりたかったのです。

テストで満点を取っても、対象年齢が上の本を読めても、私の心は満たされなかった。
だって、友達がいなかったから。

友達がいなかった私は、「友達がいない孤高の存在」である自分を“極端な快”としていました。
まるでスーパーマンのように特別な能力を持っているかのごとく、そう思わないと私は自分の心を保てなかったのです。

私は、今はすでに廃校になってしまった小学校出身です。
1クラス24人という小さな学校だったので、気が合う友達がいなかっただけなのもしれない。

でも、中学に行っても高校に行っても、ずっと友達は少ないままでした。

奈良を出てからは新しい友達がたくさん増えたけれど、定期的に携帯をトイレに水没させていたので、その度に人間関係はリセットされて、いつしか私に連絡を送ってくる人もいなくなってしまった。

「何のために私は生きているんだろう」と思っていた。

そのような経緯もあってか、「みんなに認められるような有名人になりたい!」とずっと思っていたのかもしれません。
確かにここに生きて、毎日職場に行って働いているんだけれど、「私」って一体何なんだろう…と思っていた。
小学校の時にそのような日記を書いたクラスメイトは、担任に「そんなことを考えるやつは病んでる!」と吊るし上げられていたので、自分が日常的に「私って誰?」と考えているなどとは口が裂けても他人に言えなかった。

私の“極端な快”は、「私は実は平均以下で凡人以下の何もできない存在」ということを浮き彫りにしていきました。
何をやっても長続きしない。感情に任せて無計画で無鉄砲。
「こんなのは自分じゃない!」と思いながら、「じゃあ、どんなのが自分?」と分からない。

なのに!
この長年の私の疑問は「心よ!」というたったの三文字で解決してしまったのです。

「心よ!私は何者なのですか?」と聞くと、心は「あなたは特別な存在になれなくても、誰かの心の中にいる特別な存在」だと教えてくれます。
「心よ!私は平均以下の存在なのですか?」と問いかけると、心は「あなたが平均以下であるのなら、あなたにとっての平均って何?」と聞いてきます。

私にとっての“平均”とは、普通に毎日料理をして、食べた後の食器類を洗って、毎晩お風呂に入って歯を磨いて、日付が変わる前に眠ることです。
でも、大嶋先生の書籍に出会ってから知ったのですが、私が思う“平均”や“普通は”を行っている人って、実は少数派なのかもしれないということ。
そういえば、父親は私が思う“平均”を何一つこなしているところを見たことがありません。

それなのに、どうして“普通は”と思って、できていない自分を罰してしまうのだろう?

それでも私は、世の中のみんな私ができないことを軽々とやってのけて、私よりも有意義な生活を送っていると思っていたので、何もできていない私は毎日焦燥感でいっぱいでした。
「動かなきゃ」と思っているのに、ベッドの上からピクリとも動けない。

もし、当時の自分が心に聞けたら、心は何と言っただろう?
「心よ!もし私があの時にあなたに聞いていたら、あなたは私に何と教えてくれたの?」と聞いてみました。
すると心は「何も言わない」と言います。
「心よ、どうして何も言わないの?」と聞くと、心は私に田舎の田園風景を見せてきます。

それは、私が写真にハマっている時に撮った1枚ののどかな田園風景でした。
その何の変哲もない田舎の写真を私は大層気に入っていました。
淡い緑色と黄色が混ざったような描写の夏の田舎は、それを撮ったよりもはるか昔の高校生の頃の自分を思い出させます。

私はあの頃、何になりたかったのだろうか?
そして、今「お金がないからやりたいことが一切できない!」と放棄してしまっているけれど、あの頃はお金がないなりにどんなものでも手作りで欲しいものを作っていたじゃないか。

「ない!ない!」と思いながら、私はたくさんの物を手にしていたことを思い出します。

学歴がないけれど、自分で興味あることを独自で勉強する方法を知った。
お金がなかった時代に作った作品は、お金を持っている自分が作ろうと思っても作れない素晴らしいアイデアとデザインだった。
文才がないと思って必死に暗記した言葉の数々は、難しい本を読むのに役立っている。

捨ててきたものも多いけれど、ただでは転ばないとはこのことなんだろう。
私は確かに、自分の人生をしっかり歩いていた。
あの頃「生きているのか死んでるのか分からない」と思いながら、毎日同じような日々を苦しみながら過ごしていたけれど、脳の過覚醒がなくなった今、あの頃苦しんでいた自分ほど輝いて必死に生きてきた自分はないと、そう思える。

その魂を、情熱を燃やすための燃料として、“苦しみ”が糧となっていたのであれば、あの頃ほど私は美しく一生懸命生きていた時期はないと思っている。

これから数年後、今の自分を振り返ってどう思うのかは、分からない。
だけど、間違いなく思うであろうことは、「あの時、ああしてくれてありがとう!」と今の自分に感謝するであろうことです。

エラーの中に無意識が宿る。
私の人生は間違いだらけだったし、何一つ意識していた通りに進んでいなかったけれど、無意識はちゃんと知っていた。
本当に私が求めていることを。

私が何度「間違った!」と思っていても、無意識は「あなたは何も間違っていなかった」と言ってくれるのではないだろうか。

そう思った時に、「生きてて良かった」と心の底から自分の人生を愛おしく思うのです。

 

 

本日のメタファー:象牙、博物館

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