小中の幼馴染に「自称・親友」がいました。
その自称親友は目が大きくて美人だと自分で分かっていたので、将来は歌手か女優になりたいと言っていました。
その夢を持つことは良いことだと思うし、明るくて素直な彼女なら本当に有名人になれるのではないかと思っていましたが、無自覚にいちいち私のことを下げる発言をしてくるのです。
しかも、当時の私はニキビだらけの顔面で自分でもものすごく自分の顔が気持ち悪い!と思っていたのですが、彼女もあからさまに嫌悪感を示してくるのです。
なので、私はずっと「何が親友じゃ!お前の彼氏が私の悪口言ってたことを言うなや!」と心の中で毒づいていました。
でも、だぶん私も無自覚に人を批判する発言をしてきたので、彼女のことを完全に悪者にすることは出来ません。
彼女がなぜ、いちいち私と比較して私のことを下げてきたのか、その気持ちが分かるからです。
つまり、人を無自覚に批判する人は、実は「認めてもらいたい人」ということなのです。
「あなたなら、私の才能が分かるでしょ!」と言われているのです。
母親もそんなところがありました。
本人はまったくそのつもりがないんだけど、私が聞いたら「ガーン!」となることを言ってくるのです。
そして、私はそんな母親や他人の無自覚な発言にいちいち傷ついては「だから人間なんか嫌いじゃ!」と思って生きてきました。
こうやって相手の咄嗟の言葉の中にショックを受けたり、一言多い発言で傷ついたりする時、もしかしたら相手と知能差があるのかもしれません。
知能差があって「私の話が通じなくて、理解し合えないかも!」と相手が無自覚に思った時に孤独脳が発動して、相手の知能が低下します。
すると、私がショックを受けるような発言をピンポイントでしちゃうので、私も相手の低下した知能に巻き込まれて「ガーン!」となって認知機能が下がります。
(ナラティブです)
私が鬱になって実家に戻るまで、私から見た母親はめちゃくちゃ意地悪でした。
私の発言には全否定で、いつも嫌味ったらしい返事をされて、私は惨めな気持ちになるばかりでした。
だけど、それってもしかしたら、母親の「孤独」だったのかもしれません。
私が生まれた頃、父と母と私の3人でマンション暮らしをしていました。
母親の話によると、父方の祖父母とは同居しなくても良いと聞いていて安心していたのに、私が生まれてから急に父方祖父母と同居することになったそうです。
父方祖父は町内で最も嫌われているクソ頑固ジジイで性格もバチクソ悪くて、家でも外でも他人の悪口を大声で言いまくっていました。
家族が出掛けようとすると「どこ行くんぞ!」と本人に聞こえるように大声で祖母に聞き、家に誰かが遊びに来ると「なんどー!」と大声で割って入ってきて不快だし、和室の座布団にはエロ本が数冊隠されているし、テレビの音は四六時中大音量でした。
そんな祖父でしたので、まだ携帯電話がなかった時代に同居を開始してから母親にちょくちょく掛かってきていた母の友人からの電話は次第になくなっていき、母親はどんどん精神的に孤立していったのかもしれません。
歪んでいく家族の中で誰もが助けを求めていたのだけれど、一番そばにいて異変に気付くであろう家族にお互い放置され、家族全員が互いに無関心でした。
だから母親の望みは子である私を幸せにすることではなく、「母親自身の傷を癒す」ことだったのです。
つまり、子どもになぐさめて欲しかったわけです。
しかし、私にも安全はありません。
私も父方祖父母の悪意にされされていますし、誰にも悩みを聞いてもらえていません。
大人でもそんな状況で他人を助けるのは難しいと思います。
自分のことしか考えられない状況で、他人に優しくできるはずがありません。
母親は、私と同じ境遇になってほしかったわけではありません。
私に守ってほしかったわけでもありません。
きっと、ただ愚痴を聞いて「大変だね」と言ってほしかっただけなのだと心は言います。
そして、心が見せてくれた映像は、晴れたある工事現場で黄色いブルドーザーが、土砂をかきわけているイメージでした。
「工事現場」で思い出すのは、昔付き合ってた写真仲間のことです。
彼がカメラを持って近所を散歩していた時に、ある工事現場を撮影しようとカメラを構えたら「撮影禁止」だと言われました。
彼も私も、工事現場を撮影してはいけないことを知らなかったので、悪気はなかったんです。
でも、悪気はなくても相手に悪意だと捉えられてしまうことだってあるし、その世界のルールの常識を破ったことで傷つくのは自分なのかもしれない。
知らないことを優しく教えてもらえたら良いんだけど、そこに知能差があると「なんであなたはそんなことするの!」と頭ごなしに怒られてしまうから。
母親の中の常識は、「傷ついた人がいたらなぐめること」だったんだと思います。
ちなみに私が「なぐさめの言葉」を使えるようになったのは、FAPでトラウマを治療し始めてからです。
それまでは誰かに「大丈夫?大変だったね」という言葉を掛けることは、ものすごく恥ずかしいことでした。
なんとなく上から目線の言葉のような気がして、人に言葉掛けをすることが出来なかったのですが、もしかしたらこれも母親のトラウマが元だったのかもしれません。
母親はなぐさめてほしかったんだけれど素直に「しんどい」って言えなかったから、ダブルバインドとして私に呪いの暗示を入れてしまいました。
「お母さん、しんどい」と言ってくれればいいのに、母はそれがバレたら恥ずかしいと思っていたのでしょう。
だからなぐさめの言葉の代わりに、「あんたはこんなこともできないの」という言葉で私を下げていたんです。
そうすることで自分を保っていないと、私を守れなかったんです。
ブルドーザーは、ただ土砂を運んだり削ったり、土を持ったりするだけではありませんよね。
土をならすこともできます。
除雪することもできます。
イメージの中の黄色いブルドーザーは、掘った土をどこに持っていけばいいのか分からず、そのまま元の場所に土を盛っていたので「意味ないじゃん!」と意識では思います。
しかし、掘ってみてそこに何も埋まっていなかったから、もしかしたらまた元の場所に土を被せたのかもしれません。
使い方を1つしか知らなかったらそれまでなんだけど、他にも使い方がある!と分かると一気に世界が広がります。
なので、単純に「母親が私を傷つけるようなことを言った!」といじけてしまう前に、シナプスを民主主義にして、「もしかしたら、こんな可能性もあるかも?」と考えてみる。
それを簡単にしちゃうのが、中指ビンゴだったり「心に聞く」なんですよね。
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