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カタツムリと私の世界線は平行線

ひとりごと
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ある雨の日に、紫陽花の葉っぱの上をカタツムリがゆっくりゆっくりと歩いているのが見えます。

そこに、黄色い帽子を被った小学生の女の子がやってきて、ピンク色のビニール傘をその紫陽花とカタツムリの上に差したのです。

女の子は赤いランドセルを背負っていて、土砂降りの雨で周囲の音が雨の音以外何も聞こえないけれど、葉っぱの上をのろのろと歩くそのカタツムリを興味深く見つめるのです。

「カタツムリは雨に濡れていた方が良いのかなあ」と女の子は思いましたが、自分が濡れるのが嫌だったので、カタツムリも傘の中に入る角度でカタツムリをじっと観察することにしました。

 

こんなメタファーが浮かんできて、花が出てきたらまずは花言葉を調べることにしています。
紫陽花の花言葉は「移り気」です。
その花の色が七色に変化するところから名づけられました。
「浮気」「無常」と言った花言葉もあり、また紫陽花の花期が長いことから「辛抱強さ」という意味も持っています。

そして「カタツムリ」のメタファーですが、これも色々調べ方があって。
そのまま「カタツムリ」とイメージしてどんなことが思い浮かぶのか?どんな思い出があるのか?を辿っていっても面白いです。

私の小学生の時のカタツムリの思い出は、ちょっとここでは書けないような残酷な思い出なので(あくまで私がというよりは、それを見ていて止めなかった私が…というような)、その時のことが思い出されます。

それから、Googleでカタツムリの生態を調べてみます。
すると「マイマイ」という単語が目について、「そういえば学生時代の親友はマイマイって呼ばれてたなあ」と思いだします。

そして、バレンシア地方ではパエリアの材料として欠かせないものだという記述を発見し、「そういえば、つい数日前に初めてパエリア作ったなあ」なんて思い出します。

さらに面白いのが、私はスピリチュアルをあまり信用していませんが(占い師のくせに)、「カタツムリ スピリチュアル」と検索してみます。
すると、カタツムリの意味が出てくのですが、その中に「怠惰」「忍耐」「自己防衛」「マイペース」「無意識」「幸運」という言葉があることを知ります。
(考察事典より)

紫陽花にも「辛抱強さ」があったし、メタファーの小学生の女の子はのろのろペースのカタツムリにじっと呼吸を合わせていたので、「ああ、確かに“忍耐”を表してるスクリプトなのかも」と思い当たります。

ゆっくり、ゆっくり…カタツムリのペースに合わせて、女の子は息を止めてその行き先を見守ります。
けれど、カタツムリはまるで女の子に見られていることなど全く気にしていないかのように、ぬめぬめとしたその体を引きずって、葉っぱの上に道を描いていきます。

女の子はどうしてカタツムリに興味を持ったんだろう?と女の子の視点で少し考えてみると、「あ!カタツムリを見るのが珍しかったんだ!」ということが分かります。

そのカタツムリをどうこうしようとか、家に持って帰って飼おうとかではなく、ただただ珍しくて眺めていたのです。
自分と違う生き物がどんなふうに動くのか?どんな体の仕組みをしているのか?
その小さな体にはどんなふうに世界が映っているのか?

女の子は、自分が「分からない」と思うことが楽しいようなのです。

これまで人間として生きてきて、だいたい世界が分かってきたからこそ、「分からない」ことに遭遇すると「面白い発見だ!」と興味津々でその世界を知ろうとします。

なんで面白いと感じるの?というと、女の子が今知っている世界の外側に自分の知らない世界があることが無限の可能性に繋がっているようなそんな気がするから。

宇宙の果てに旅行することはできないけど、身近にもたくさんある不思議は、女の子の退屈な日常の殻を破ってくれます。

「分からない」が“怖い”と感じたことはなくて、「分からない」から知ろうとする。
でも、お母さんは私に詳しく教えてくれなかったから、だから私はこの目で直接見て世界を知りたいと思ったのです。

そう、お母さんも知らないことがたくさんあって、でもお母さんは「知らない」ことを恥だと思っているのか、お母さんが知らないことを私が聞くと、とても怖い顔をして怒られるのです。
まるで「知りたい」と思うことが罪なように…。

そんなことを何回か繰り返す内に、私はお母さんにではなく、その“現象”自身に「どうして?」と疑問を投げかけることにしたのです。

「分からない」ことは罪ではない。
だけど、世界は分からないことだらけで、もしかしたら一生掛かってもこの世界のすべてを知ることは不可能なのかもしれない。

だから「分からない」ことが起きた時に、私は目の前の「分からない」に一生懸命向き合うことにしたのです。

「分からない」を知ることは世界を知ることで、「分からない」自分を知ることはまた1つ賢くなること。

そうやってどんどん自分の中に「分からない」が増えていくと、女の子は「分からない」だけをかき集めてコレクションにしようとしたのです。

「分からない」分だけほんの少し自分の世界の幅が広がったような気がして、何に近づいているのかは分からないけれど、女の子の世界がどんどん広がっていくのです。

私はカタツムリにはなれないけれど、その美しい花の上でゆっくりと歩むカタツムリは、きっと私とは違う世界を生きているけれど、私は私で自分が誇れるような人生を歩んでいきたいんだ。

そう思うと、カタツムリにそっと背を向けて、土砂降りの雨の中、長靴をビチャビチャ言わせながら急いで家に向かうのです。

私はカタツムリじゃないから、あったかいお家であったかいご飯で体を温めてゆっくりしたい。

カタツムリは、雨に打たれながら、まだゆっくりゆっくりと、紫陽花の葉の上を歩いているのです。

 

本日のメタファー:カタツムリと紫陽花

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