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自分を罰するのは、神の快感?

ひとりごと
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私は海のない県に住んでいるので、将来は海のそばで暮らしたいなあと思いつつ、山で暮らすことも捨てがたいです。

私は幼少期から、海山雪山などアウトドア一家だったので、春夏秋冬すべての季節と毎週の週末を自然の中で過ごしていました。

父親がキャンプにハマっている時は、夏秋とキャンプに行き、父親が山登りにハマっている時は毎週日曜日に奈良県のいろんな山を登りに行きました。

その中でも「大台ケ原」が特に印象的でした。

小学校の理科の教科書に載っていたと思うのですが、立ち枯れしたトウヒ。
これがとても幻想的で美しいのです。

私は、さまざまな思い出を両親に作ってもらいましたが、でも、私の中ではいつもどこかに「苦しい」がありました。

長野の山奥で妹と並んで流星群を見た夜も、福井の海辺にキャンプをしに行った時も、志摩のキャンプ場でたくさんの四葉のクローバーを摘んで、その後母親がしおりにしてくれたことも。

私はいつも、中学に上がる前の春休み、スキー場のリフトに乗っている時の気持ちを思い出します。

どうして胸が潰れそうに痛くて苦しいのか。
自分はここにいてもちっとも楽しくもないこと。
だけど、「楽しい」と感じてきちんと笑いたいこと。

話は変わりますが、小学校1年生の時、初めて志賀高原にスキーに行った時の話です。
私は食堂でリフト乗り放題のパスポートをなくしてしまいました。

両親に怒られて食堂中を探していると、ある大家族の母親が「パスポート落ちてた!ラッキー!」と言っているのが聞こえました。

臆病だった私は「私のです」と言えず、そのまま両親には「見つからなかった」と伝えました。

大人になってから知ったのですが、リフトの乗り放題パスってめちゃくちゃ高いんですよね。

ちなみに、このエピソードはトラウマ治療がほぼ完了する手前で思い出したショッキングな思い出です。

「だけど、父親も近所の診療所のお手洗いでサイフを忘れたら、中身の3万円掏られてたやん!」と、自分を正当化しようとします。

正当化したところで、私の胸の痛みはなくならないし、失ったお金も返ってこないから、私はあの日の自分を罵倒するしかありません。

だけど、もし、今の自分があの頃の自分を救ってあげられるとしたら、何をしてあげられるだろう?と考えた時に、私はあの頃の自分に「自分を許す必要はないけれど、あなたは精一杯生きている」と伝えるかもしれません。

誰かに許してもらおうとかではなく、ただただ、自分は自分に納得したいだけ。

「どうして自分が損をすることしかできないの?」と過去の自分に問いかけた時、その自分は今も昔もただ自分に正直なだけなのかもしれない。

「盗られたパスポートを黙認することが、どう自分に正直なの?」と疑問に思いましたが、そこには私の無意識の何かの采配があって、きっと無意識は「あなたが罪を犯しても、30年間裁かれなかったじゃない」と今の私の教えてくれているのかもしれません。

そう、小学1年生の意気地なしの自分は、正々堂々とパスポートを返してもらうことができず泣き寝入りしたおかげで両親の懐を痛めてしまったけれど、37歳の私には未だにその罰が降りかかってないのではないか?

そんなことを考えながら、自分が自分に一番「許せない!」と罰と呪いを掛けていたんだなあと気づくのです。

 

本日のメタファー:カモメ

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