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セルフFAPをしまくってぶっ倒れた話①

ひとりごと
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お祭りに行った時に買う物と言えば、何でしょうか?

私はたくさん悩んで、結局どれも買わない子でした。

りんご飴は大き過ぎていつも残してしまうし、美味しそうな屋台もたくさん出ているけれど、どれを選んで良いか分かりません。

唯一スーパーボールすくいだけは毎年やっていたかもしれません。

そのスーパーボールは、家にたくさん保存していたのですが、ある日スーパーボールをカッターで真っ二つに切ってみると断面が美しかったので、家に取ってあったスーパーボールを全て細かく切り刻んでみました。

そして、その細かくなったスーパーボールを何かに使えないかな?と思っていたのですが、結局何も使う案が浮かばずに、私の宝物ボックスの中に今も眠っています。

子供の頃って、「なんでこれが好きだったんだろう?」という物が多かったですよね。

たとえば、私が集めていたのは小さい瓶に入った金太郎飴のような消しゴム。

百貨店に売ってあった小さな石の詰め合わせ。
(今でいうパワーストーンのちゃちいやつがたくさん入ってるやつです)

母親が昔大切につけていたネックレス。
(これは大台ケ原に家族で行った時に、「宝物も持って行こう!」と思って持って行ったら、山に上っている間に落としてしまったようで数年間凹みました)

丸いクッキーの缶に入った大きなビーズたち。

どれも当時の私にとっては宝物だったのですが、今の私から見たらどうでしょう。

「幼い私が大切にしていたもの」だから、同じく宝物のように感じるかもしれません。

だけど、今の私に本当に必要な物は「人を愛する力」だと思っています。

大嶋先生は繰り返し「人の中に愛(真実)はない」と仰っていますが、私はどうしてもそれが欲しかった。

でも、「人に愛を与える」ということは自分が神になって相手を裁くためなのではないのか…と悩んで、人に冷たく接していた時期もありました。

映画でも漫画でもドラマでも、愛がある優しい主人公がだんだん味方を増やして大成していく物語が多くあるように感じます。

だから、自分でも「人に優しく接することで報われる!」とどこか思っていたのかもしれません。

けれど現実は、確かに優しく接したら優しさを返してくれて成り立つ人間関係もありますが、多くの場合は「あれ?だんだん相手が横暴になってきたぞ!」となります。

良かれと思って相手に優しく手を差し伸べたり親切に声を掛けることで、時間や気持ちを搾取されていきます。

それに疲弊してしまった私は、いつしか人が嫌いになっていきました。

「人は自分を責めるもの」だと思っていたし、それは「優しさの裏切り」を自覚するもっと前に両親から感じていたのかもしれませんが、あれだけ怒るのが苦手だった私の中にあった何か琴線がピキーン!と切れた時に「もう人に優しく出来ん!」と怒りまくっていました。

いくら優しく励ましたとしても伝わらない人がいるし、そういう場合は解決するのは私ではなかったりします。

だけど人のものを背負って自分のせいにしたかった私は、解決できない相手の苦しみに悩み悶え苦しみ、そしていつしか人を信じられなくなっていきました。

「私は、人に優しくしてほしい。優しくしてもらったら嬉しいと思う。だから、やっぱり優しい自分でいたい」と思う反面、「こいつらマジで自分のことしか考えてねーな!」と悪態をついてしまう自分も心の中にいました。

その矛盾する気持ちを抱えたまま苦しみ、やがて人から距離を置くようになったのです。

近々催眠ガール2が発売されますが、私は前作『催眠ガール』で救われたお師匠さんの言葉があります。

それはp50の、

「怒っている男性が苦手なんですね」「そんな怒っている男性に対しても、うまく対応したいと思っているんですね?」

という台詞です。

なぜ、「その人」に囚われてしまうのかというと、もしかしたら「上手く対応して、相手を傷つけたくない!」という気持ちがあるからこそ、なかなか頭から離れなかったり後悔が拭えなかったりするのかもしれません。

私も、人に「もう優しくしない!」と厳しく接している反面、「本当は優しく接したい」という気持ちがあったからこそ「人に優しくできない!!」という気持ちが大きく辛く感じるようになったのでしょう。

では、その「人に優しくしたい」という感情は、本当に自分のオリジナルの感情であって支配されているからそう思うのではないのか?という疑問がありますよね。

私は乳児期の頃、まったく人見知りをせず誰にでもニコニコしてる「可愛くて人懐っこくて、簡単に誘拐されそうな子」だったらしいです。

私は、その頃の自分に戻りたいのか?それとも、「あんたは今と違って昔は愛想良かったんやで!」という母親の言葉に囚われてしまっているのか?

もう少し最近の話に遡ります。

FAP療法を受ける前に出会った人は、私のことを「愛想が良く優しい」と言いますし、その頃は人と交流するのは好きだった…と記憶しています。

しかし、大きなトラウマを何個も取っていった後、昔から仲良かった友達は居なくなり、「昔のあなたが好きだった…」と言われることが多くなりました。

だけど、私は本来の自分の感情に素直になれるようになっただけであって、「優しい私でいられなくてごめんね!!」と長い間悩んでいました。

怒りの感情を適切にその場で感じて瞬時に出せるようになりましたし、そのおかげか言葉に詰まることも少なくなりました。

自分の感情に素直になれると、場面緘黙のような症状も治まってきたのです。

でも、まだ「自分のことを全部好きになれない」状態でした。

それはただ一点、「人に優しく接することができない」。

これは支配がまだあるから「優しくできない自分」を罰して罪悪感を感じているのか、それとも「優しくできない自分」でいることが支配なのか、判断がつきませんでした。

なので、徹底的にトラウマ取ってやろう!と思って、心のモヤモヤが0になるまでとことんセルフFAPしてやりました。
※セルフでFAPを行う時も、必ず3~4日は様子を見てから行ってください。
連続で毎日FAP療法を行うのは本当にオススメしません。

なんでこんな注意書きをしたのかというと、私は実はこのルールを守らず「自己責任」ではあるのですが毎日取れるだけ取って悶え苦しんだ当事者だからです。

ちなみに、FAP上級もセルフで毎日行ってました。
この時はまさか好転反応が起こっているとは思わず、3か月毎日連続して行っていて、メンタルが地獄でした。

その後、FAP初級で取れるとこまで取ろう!と思い、好転反応もかなりなくなったし大丈夫だろうと考え、毎日10個ずつほどセルフFAPを一週間続けたところでぶっ倒れました…。

この話をずっと書きたいと思っていたのですが、ようやく今日、心がOKを出してくれたようです。

まあ、それで大変なことになっていたのですが、私は基本FAP療法を行った後に悪夢を見たら「お、記憶が定着したぞ」という合図だと思っています。

また、後日詳しく書くかもしれませんが、ここから私のトラウマを駆逐する毎日が始まりました。
(つづく)

 

本日のメタファー:イカ焼き

 

12月6日に発売される『催眠ガール2』は、またまたげみさんのイラストが表紙で美しいです!

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