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無意識さんとともにだったら悲恋すら喜劇になる。

ひとりごと
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桑の実っていうと、ラズベリーに近い外見をしています。
私は多分食べたことがありませんが、味もきっと似たようなものなのかなあと想像します。

こうやって、目の前にないものを想像することが「催眠」です。

「何だかよく分からないけど自分は運が悪い!」という人は、もしかしたら知らず知らずのうちに「目の間前にまだ起こっていない嫌なこと」を想像しているのかもしれません。
「自分はきっと運が悪いから、こうなるんだろう…」という嫌なことを想像すればするほど、それが実現してしまう。

だけど、そんなことを想像していないのに「何だか悪いことが起こる!」という時、もう一つの可能性として、誰かに嫉妬されて足を引っ張られているのかもしれない。

たとえば、自分にやりたいことがちゃんとあるのに怠くてできない時とか、頭の中でイメージできているのに実際の行動に移せない時。
もしかしたら脳内で誰かがあなたの行動を邪魔していて、そして思い通りに動けないのかもしれない。

そんなことを考えていると、「ダメな自分を庇って言い訳をしているだけじゃないのか!」とも思いますが、そんなことはないのです。
なぜなら「私はもっとできるはず」と思っている自分こそが、その能力を持っている証拠なんだと思います。

人は、自分で出来ないことをイメージ出来ないと思っています。
それを成し遂げる能力があるからこそ、「こういうことやってみたら面白いんじゃないか」とか「こんなこと出来る自分ってすごいんじゃないか」という想像を膨らませられるのかもしれません。

人は、イメージしたこと以上の体験を、脳内で体験しているのかもしれないです。
何か一つをイメージした時に、そこに繋がるいろんな人の無意識を活用して、自分のイメージすること以上の能力を発揮できたりする。

その無意識の力を常に使って生きたいのに、自分の意識が邪魔をして自分の中に限界の壁を作ってしまう。
限界を感じた時に、その限界の壁のまわりでウロチョロしてみること、と大嶋先生は仰っていました。

「この壁を越えよう」とか「この壁をぶち壊そう」と力任せに壁をなんとかしよう、自分のこともなんとかしよう、と思う必要は全くなくて、ただそこに「自分の無意識が働いているだけ」と気づく。
そうすると、いつの間にか「越えられない」と思っていた自分の中の壁を越えていることに気づくんです。

「どうやってあの壁を越えたんだっけ?」と思うけれど、思い出すことはただただ無意識さんがなんとかしてくれると思って、自分の力で一切コントロールをしなかったこと。
そうすることで、無意識さんはきれいに私の望む未来を創造してくれて、私はその無意識さんの道をきれいに自転車に乗って心地良い風を感じながら進むことができる。

どうやって無意識さんを信じるの?ということは、別に無意識さんを心から信じる必要はないし、私も未だに無意識さんの言うことを半信半疑だったりします。
それで、自分自身と対話して物事を決めたり、納得して道を進む覚悟を決めるということもまた人生に必要なスパイスになると思っています。

無意識さんはいつでも裏切らない。
私が望むことを知りながら、はっきり答をくれない時も確かにあるけれど、何度無意識さんを裏切っても、私の中で輝く原石を探しに行く旅に終わりがないように、無意識さんは私の味方でいてくれる。
そんな気がするのです。

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本日のメタファー:桑の実

桑の実ってこんなんです。

桑(マルベリー)の花言葉は、「彼女の全てが好き」「ともに死のう」です。
『ロミオとジュリエット』のモチーフとなったギリシャ神話の悲恋に由来するとか。

悲恋の部分は分からないですが、「無意識さんとともに生きる」と思った時、上手くいかなかった恋愛や破局などの苦しみ悲しみをともに乗り越えてくれる無意識さんの優しいメッセージなのかな?と思いました。

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