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誰かの孤独を請け負って感じる「孤独感」。

ひとりごと
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私は昔、魚料理が苦手でした。
それはきっと、骨を取るのが面倒くさいとかお肉の方が美味しいとか、そんな単純な理由だったと思います。

だけど、気がついたら、魚料理の日は母親が魚の骨を全部取って食卓に出してくれるようになったのです。
未だに実家に帰って魚料理が出てくる時は、すべての骨を取り除いてから食卓に置かれます。

うちの父親は典型的な「何もしない人」でした。

育児や家事には一切参加しないし、そもそも料理も洗濯もできないし、まず食べる物は肉かお菓子かなんです。

そんな父親と母親の元で育っているので、やはりというか当然、母親は私たちに愚痴を言ってきます。

ただでさえ、最初は別居の予定だったのか途中から父方の実家に同居になってしまい、その実家はリフォームする前は土間なんかがある古い家で、虫だらけだったのです。

そして、もちろん風呂もトイレも汚くて、私が母親だったら「ギャー!!」と逃げ出したくなるほどだったはずです。

それで、そこに住む父方祖父母は癖のある人で、なんで支配者じゃないの?と不思議に思っているのですが、祖父は四六時中「なんぞー!(奈良弁で“どういうことや!です”)」「どこ行くんぞ!(奈良弁で“どこに行こうとしてるんや、アイツは!”です)」「出ていけ!」というような人です。

もちろん、そんな親元で育った父親もすぐに「出て行け!」と言いますし、父親もよく家出して帰ってきませんでした。

祖母は毎日紫玉ねぎの入った辛いサラダを作って、おでんを煮ています。
母親はいつも「火ィ消し忘れてるよ!」と怒っていました。

その内に、祖父が糖尿病の末期になり、毎週病院に人工透析に行くようになると、寝たきりになりました。
祖父もお菓子と肉しか食べない人だったので、悪化も早かったんじゃないかと思います。

母親は舅が大嫌いでした。
私も妹も舅が大嫌いでした。
ことあるごとに怒鳴るし、死ねって言ってくるし、家の中は物心ついたころから殺伐としていたのですが、その死ぬほど嫌いで恐らく強烈な怒りを持っていたであろう舅の介護を、母親がすることになったのです。

この時、祖母が何をしていたのか覚えていませんが、高校から帰ってくるとひっきりなしに祖父に「おーい!」と呼ばれている母親がいました。

私はその祖父が呼ぶ「おーい!」を聞きたくなくて、部屋で大音量で音楽を聴くのです。

やがて母親は妹の塾の費用を稼ぐために、近所の公民館みたいなところに夜になるとパートに出掛けるようになります。

父親はそういう時に限って当直なので、家にいません。

こうやって、自分では「一人で家で過ごすなんて素晴らしい!」と思っていたんです。
ちょうど高校に上がって勉強もしなくなって解放感であふれている頃だったので、両親が家にいない夜は妹も塾に行っていて家にいないので、台所から急須にあったかいお茶を入れて2階のリビングに持って上がり、洗濯物をたたみながら金曜ロードショーを観るのです。

今でも覚えているのが、一人で観た『ハムナプトラ』です。

こうやって自分の人生を振り返ってみた時に、私はずっと「孤独だったな~」と思うのです。
そりゃあ、カウンセラーさんも私のインテーク後に「孤独」と言うわけです。

だけど、私はカウンセラーさんに言われるまで、自分が「孤独」だということに気づいていなかったのです。

家では相談できる相手がいなくて、母親も父親も病んでいて、妹もイライラしていて…たしかに楽しかった時はあったのかもしれないけれど、私の頭の中は常に「学校行きたくない」で占められていて、担任の先生を恐怖に感じていたのです。

こんな研究があります。
一度、群から離して育てたラットは、もう一度群に戻しても脳の「孤独の部位」が活発に動いたまま、一体感を感じられなくなってしまうのです。

ずっと緊張しっぱなしで、自分を「異物」だと感じてしまっているのかもしれません。

それがそのラットにとっては当たり前のことだから、「安心感」が分からないんですよね。
安心感が分からないから、自分が今「孤独の発作を起こしている」というのにも気づけない。
(ナラティブで書いてます)

家で「出て行け!」と言われて本当に出て行ったら、母親か祖母が探しに来る。
私はきっとその頃からおかしくて、「自分はこの家の本当の子供じゃない」と思うようになる。

そしたら、ますます母親にとっては「抱きしめにくい子」となってしまって、どんどん家族との溝が出来てしまうのです。

だから、その頃の自分に会ったら、こう言ったらいいのかもしれません。
「あなたが本当に居心地が良いのは母親の元ではなく、父親の元でもなく、“静寂”」なんだと。

そんな家庭環境で育ったからかは分からないですが、私は物音にとても敏感です。
物音に敏感だけど、人の顔色にも敏感だったりします。

だから占い師なんて職業をやっていくことが出来て、「人の気持ちが分かる」のが特技だったんですよね。
(ほんとかよ!)

だけど、ずっと人の顔色を窺いながら生きていくのは、本当にしんどい。
些細なことで「あの人は怒ったかな…?」「あの人、今嫌そうな顔してたよね…?」と頭の中がグルグル回っては、それらに支配されて肝心なやるべきことに手をつけられなくなってしまいます。

「人のことを考えるのは、相手のパーソナルスペースに侵入していること」と書かれていたのは、『こころのソーシャルディスタンスの守り方』です。

相手の気持ちを考えるということは、相手の陣地に侵入して土足で歩き回っているのと同じことなんですよね。
これを認めるのは、本当に痛かった。

しかし、逆に考えてみてください。
相手に「あなたって今〇〇って考えてるわよね?」って言われると、ちょっとイラッとしませんか?
「違う!」と相手に言いたくなったり、もしくは「そうだけど、探らないでほしい…」とちょっと距離を置こうとしてしまいませんか?
(これが占い師なら「なんで分かったんですか!」とお客様に喜ばれるかもしれませんが…)

相手の気持ちを分かったところで相手の何かを変えられるわけではありませんし、そもそも人は「自分自身のことすら分からない!」のです。

では、何を信じたら良いのか?というと、『相手の無意識』を信じるです。
「〇〇さんの背後に無意識が働いている」という呪文は、私がとても愛用していた呪文なのですが、これを会話や電話の最中に唱えると、相手が突然怒りだしたり本音を語り出したりしてきます。

なかなか面白くてオススメの呪文です。

 

本日のメタファー:焼き魚定食

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