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誰のために生きるのかを見失っていた

ひとりごと
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最近はずっとnoteに投稿していた過去のスクリプトを読んではYouTubeにアップロードしています。

なぜ、当時必死になって催眠スクリプトを書いていたのか?
それは確かに、当時の私が苦しい思いをしていたからかもしれません。

だけど、4年経った今の私がその時のスクリプトを読んで思うのは「ああ、今の私へのメッセージだったのか」ということです。

あの頃は毎日毎日スクリプトを書いては、抜け出せない現状が何も変わらないことにガッカリしていました。

「無意識って何?」「どうして私の願いが叶わないの?」と思いながら、ひたすら催眠スクリプトを書いていたわけですが、数年後の私は「なんであの頃あんなにしんどかってんやろ?」とちょっと謎に思うぐらい、当時の自分の必死さが滑稽に思えてきます。

今の私が「簡単だ」と思えるのは、無意識の力を信用できているから。

あの頃はまだ「自分の力でなんとかしなければ!」と必死になってコントロールしようとしては「道を誤った!」とひたすら後悔の毎日でした。

「なぜ私は幸せになれないんだろう」と思っていたけれど、私は自分の幸せを履き違えていたのです。

お金があることが幸せなの?
みんなに好かれることが幸せなの?
何も悩みがないことが幸せなの?

たしかに、どれも欲しいものです。

お金はあればあるほど嬉しいし、世の中の人みんなに好かれたら怖いものはないし、何も悩みがなければこんなにいろんなことを考えて難しく生きる必要なんてないですもん。

でも、ちょっと待って、と。
私が本当に欲しいものを無意識さんは知っているから、だから私の「願い事」を叶えてくれないんじゃない?と考えた時に、ある考えが私の頭の中に過ります。

それは「私の求める“幸せ”とは、誰かのためであった」ということです。

たとえば、母親を悲しませないように誇れる人生を送りたいというのもそうだし、母親と父親に迷惑を掛けたくないからお金を稼がないと!と思うのもそうだし。
何より、今まで私に大金を使ってくれたのに未だに何も成し得ていないことが申し訳なさすぎて、両親が死ぬまでに私に使ってくれたお金以上の金額を返そうと考えていること。

だから、私が「お金がなくて苦しい!」と思うのは、全部母親が苦しまないようにするためで、私が「お金がなくて苦しい!」と思っているのではなくて、実際は「母親を養うお金がなくて苦しい!」となっているのです。
(ナラティブです。実際にお金がなかったとしても、そんなストーリーがそこにはある気がするのです)

でも、そうなると話が矛盾してきます。
だって私が稼ぎ始めると、母親がそれを潰しにくるんだもの!

母親のためにお金を稼いでいるのだから、私が稼いでいるのを応援してくれたら良いのに、なぜか私が稼ぎ始めると決まって母親の邪魔が入ります。

それはどうして?と心に聞いてみると、私の心は「あなたは母親に愛されないように出来ているから」と教えてくれます。

「どういうこと?」と心に聞いてみると、つまり私は「母親に愛されないためにお金を稼ぐ能力を奪われている」と言われるのです。

「なんで!こんなに頑張ってるのに!」と怒りたくなりますが、それだけ母親の支配というのは強烈です。
私が自覚できていない私の素晴らしい能力まで封印されてしまっているのですから。

「心よ!じゃあ、私が私の潜在能力を発揮してお金を稼ぐためには何が必要なの?」と聞いてみると、心は「あなたは母親の支配でお金を稼げなくなっているから、SIRT1を唱えればいい」と教えてくれます。

なぜSIRT1?と思ったのですが(SIRT1は若返りの遺伝子コードです)、どうも母親の支配から逃れるために体力がいるみたいです。(ほんまかいな)

なので心に「心よ!SIRT1を唱えていたら、何が起こるの?」と聞いてみたら、「あなたの知らない世界が見えてくる」と言われました。

SIRT1には私がまだ知らない効果があったっけ?と思って大嶋先生のブログを検索してみたら「SIRT6が新陳代謝を上げて痩せれるかも!」と書いてあって、「こっちやん!」と思いました。

やるべきことがあるのに「動けない!」となっている時に、これまで色々試してきましたが、でも実は一番効果があったのが「食事を健康的なものにして運動をする」ことなんですよね。

心の傷がバリバリある時は一切動けませんでしたが、本来の自分に戻っていく過程である時に「え…私、めちゃくちゃ太った…」とショックを受けたんです。

昔から「なっちゃん細いね~」と言われることが多くて、母親にも「細さ」で褒められていたので、実際は皮と骨だけのガリガリで低体重でしたが、ずっと「細い」を維持してきたのです。

そんな私が、心の傷を取ったら「食べ物に無頓着になって、太った!」となってしまったのです。

普通逆じゃない?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は幼少期にニキビだらけの顔で「ブス!」と知らない人に言われるような顔面だったので、美人の母親からチョコレートを食べるのを禁止されていました。

ブスな私は人一倍外見を気にしていたので、小学生の頃からカップラーメンやポテトチップスを避けていいました。
それは、お菓子と肉しか食べない父方の家系を嫌悪していたので、なるべく「野菜を食べる!」と野菜大好き人間を演じていたのも大きかったです。

その甲斐あってか、同い年の人たちよりも健康的だったのですが、なにせ「食べるのが怖い!」。

それが知らない間に治ってしまっていて、「お菓子を食べるの平気です!」とか「夜に食べてもへっちゃら!」というある意味強靭なメンタルを手に入れました。

しかし、まあ調子に乗ってしまって、行き過ぎてしまったんですよね。

食べれるようになったことがうれしくて、「普通の人と同じ食事」をしているつもりだったのだけれど、昔の私のあの食事は正しかったと言えば正しかった。

なので、一度行き過ぎて「みんなと同じように食べれる!」を確認したので、そこから「自分に本当に合った食事」を探しに行く旅に出ました。

私の人生はそこから始まったと思っています。

だけど、それまでがじゃあ生きていなかったのか?と言ったら、そういうわけではありません。
それまでも確かに私は一生懸命生きてきて、でもそれは「母親を癒す人生」だったのです。

自分の一生を掛けて、傷ついた母親の心を癒すために私はこれまで生きてきた。
母親さえ幸せだったら、自分は不幸になって良いと思っていたわけではないけれど、私のためにたくさんのことを犠牲にしてくれた母親に申し訳ない気持ちだった私は、母親よりも幸せになることをどうしても自分に許せなかった。

そんなことを思った時に、ある1つの催眠スクリプトを思い出します。

それは、夜空に無数の星が輝いていて、その星の1つ1つを友達と一緒に指を指しながら数えている光景。
それは寒い冬の夜で、私たち2人は田んぼの畦道の真ん中で、寄り添い合いながら星の数を数えます。

息を吐くたびに白い空気が顔を覆うから、私は「友達は寒くないのかな?」とその横顔を見るけれど、友達は楽しそうに私に話しかけてくれます。

そんな友達を見ると私は安心して、一緒にまた星の数を数えるのです。

すると、1つの流れ星が大きく空を横切ったので、「今、何のお願い事をした?」と友達に聞いてみると、友達は「内緒!」と言います。

私たちは同じ夢を見ているかもしれないし、違う夢を見ていたとしても、どこかで1つに繋がるのかもしれない。

そんなことを思いながら、母親のいなくなった世界を思い浮かべてみると、そこにはたくさんの無意識が働いていることに気づくのです。

そう、その無数の星こそ母親からもらった数々の「言葉」で、その1つ1つの言葉に大きな意味はないけれど、私の中で呪いの言葉となっていたそれらは、母親が私を愛していたからだと気づくのです。

私は、母親に愛されていないと思っていた。
だから認めてほしくて、ずっと頑張っていたのかもしれない。

そんなことを考えると、今まで努力してきた自分のこの能力を、今度は自分が生きるための糧にしていこうと、そう思うのです。
(ナラティブです)

 

本日のメタファー:朝靄の中の氷漬けのバラのスクリプト

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