天狗と言えば、赤い顔をしていて鼻が高くて葉っぱのうちわみたいなものを持っていて、ゲタを履いているイメージです。
まあ、妖怪ですよね。
その妖怪を思い浮かべた時に、「怖い」という感情が私の中に沸き起こるとしたら、一体私は何を怖がっているのだろうかと考えてみます。
得体が知れないから怖いのか
赤い顔で怒ってるように見えるから怖いのか
鼻が長いのは人間っぽくないから怖いと感じるのか
「自分と違うもの」にもしかしたら「恐怖」という感情を持ちやすいのかもしれません。
「あの人は何を考えているか分からないから怖い」
「将来、自分がどうなっているのか分からないから怖い」
「自分が今何を選択するのがベストなのか分からないから怖い」
そんな「怖い」の連続だったけど、でも奇跡的にたくさんの良い人に囲まれて過ごしてきた私なのに、どうして「人が怖い」が拭えなかったのかが分かりません。
だけど、トラウマを取っていく内に思い出したのは「家の中にも外にも誰も味方がいなかった時期があった」ということです。
特に家庭に味方がいないというのは、「自分の居場所がない」ということと同じことなので、常に外敵にさらされているようで恐怖に怯えながら過ごしていました。
私は今まであまり「人に相談する」ということをしてこなかった人生でした。
そもそも「相談する」という選択肢が自分の中にはなくて、だけどどうしても人に相談するしかない時は、相手に言うのも返答を待つ時間も口から心臓が飛び出て吐き出してしまいそうなぐらい緊張してしまいます。
「相談する」という選択肢がない私は、人生で辛い時はいつも「耐える」という選択肢しかありませんでした。
逃げれば良いのに、バカ正直だから逃げずに真面目にこなしていくことしかないと思っていて、逃げるのは卑怯だと思っていたのです。
だからと言って、戦うほど自分は「正しいことをしていない」と思っていたし、「人に責められて当然」だと思っていました。
なんでこうなったんだろうなあ…と、あらゆるトラウマを取っていった時にぼんやり浮かんできたのが、小学校高学年の自分です。
担任は皆が恐れるザ・体育会系教師で、気に食わないことがあれば殴る怒鳴る教室から追い出して罰を与える、何時間も立ちっぱなしで説教…。
私が通っていた小学校はもう廃校になっているのですが、それぐらい過疎地域だったので、1学年に1クラスしかありませんでした。
1クラスしかないので、この恐怖の担任が今の5年6年の担任を終えて卒業生を見送ったらまた5年の担任になりそのまま持ち上がり6年へ…という繰り返し。
だから、私が小学校1年生の時には「私が5年生になったらこの人が担任」というのはあからじめ決まっていたのです。
それで案の定、この人が担任になってからは毎日が恐怖で、母親もこの担任を嫌っているけれど直接何かを言っている風ではないし、私は毎日毎日担任が〇ぬのを強く願っていました。
元々小1で別の担任に虐められていた時に(今から考えると過呼吸で)入院した後、睫毛を抜く抜毛症が治っていませんでした。
当時は「抜毛症」なんて言葉、大人も知らなかったので、私は母親に「睫毛抜きなや」と言われ続けていましたが治らず、気づいたら髪の毛も大量に抜くようになっていました。
宿題をしているふりをしながら延々と髪の毛を抜いて、グレーの絨毯の上に捨てていました。
子供の私は「バレない」と思っていたのですが、そりゃあバレますよね。
毎日毎日母親に「何で抜くの!気持ち悪い」と言われ続け、それでも髪の毛を抜くことと宿題が0時になっても終わらないことが治らない私は、今度は父親に髪の毛を引っ張られて引きずられながら「いい加減にしろ!」と怒鳴られる毎日です。
どうして、あの時「何で宿題終わらないの?」って聞いてくれなかったんだろうと思うし、普通じゃない行動をしてる私を叱って治ると本気で思ってたんだろうか?と両親に怒りが込み上げてきます。
当時の私も「相談する」という選択肢を取れるほど元気ではなかったというか、多分鬱だったので、耐えるしかなかったんですよね。
きっとこの時の恐怖が自分の中にずっと根付いていて、何歳になっても「宿題が終わらない恐怖」と「明日が来るのが怖い」という気持ちを抱えながら生きていました。
だから、カウンセリングの初期なんかは、辛いことがあったらすぐにインサイトに連絡して予約を取ったら良いのに、なぜか半年も我慢してから「もう限界!」という時にカウンセリングのことを思い出したりしていました。
今の自分から見ると「何でそこで耐えるねん」なんですが、今の自分だからこそ分かる「誰も助けてくれない」と本気で思っていた過去の自分がいるのです。
「怒られる」が根底にずっとあったのかもしれません。
なので、今こうやって色んな心の傷を取っていった時に「ああ、自分はずっと孤独だったんだなあ」と気づくのです。
「相談する」ことは怖くないし、「人に自分のことを話しても否定されない」ということを知ったのは、FAP療法のおかげだと思っています。
私は20歳になっても30歳になってもいつまでも「小学校5・6年生の怯えていて寝不足な自分」だったので、夜眠れなったし人が怖かった。
こうやって自分の人生のからくりに気づいていくと、「ああ、今まで生きてきて本当に良かった」とあの時死ななかったことを誇りに思います。
本日のメタファー:天狗
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